1月28日の護摩の後、そして当日の夜6時半からの日程で般若心経の解説を一日に3度行いました。
合計で13名の方がお見えになり、熱心に般若心経の中身について勉強して下さいました。
実は、この般若心経解説の資料は、以前有志の方と行っていた仏教勉強会に於いて、お経に触れる一例として作っていたものでした。
今回は、その資料により解り易く手を加え、手前味噌ではありますが、般若心経の核心を一時間強という短い時間でかなり正確に掴むことができるものと自負しています。
私の当初の予想では15人程度かなと思っておりましたが、それよりもさらに少ない人数となってしまいました。(笑)
意外なことに午前中に人数が集中し、午後はまさかのマンツーマン、そして夜の部は先輩の寺院様がご夫婦でお越し下さり、なんとか涙のロンリーナイトが免れたという状況でした。(笑)
けれども、人数の少なさに反比例して、参加者皆さんからのレスポンスの手ごたえは良い意味で私の予想以上に吉と出ました。
敢えて、小難さをそのまま残した資料ですので、難解な印象を与えるのは承知の上でしたが、
「とても解り易い。」
「語句の説明が並行して添えられてあるのが良い。」
などなど、お褒めの言葉を頂きました。
資料は全部で3枚あるのですが、3枚目は去年の秋の法話会で用いたものを補足として活用しています。
ここにその資料をPDFで公開しておきますので、般若心経に興味の有る方は是非ご活用ください。
この3枚の資料を読むだけで、かなりの疑問が解消されるはずです。
私は、『空』とはズバリ、無限の可能性であると説明しています。
そして『無』とは、確立性や限定性それ自体が無いということ、と説明しています。
空については短く言い切れるのですが、無についてはどうしてもまどろっこしい説明になってしまいます。
『無』について少し補足しておくと、私の資料で言うDの始まり『是故空中』という原文の後に続いて、六根は無であるとか、五蘊が無であるとか、また仏教学の基本の四諦や十二因縁さらには智慧までもが無であると書かれています。
これはつまり、それらの概念が無であるという訳ではなく、空を以て物事を見る時、一切の確立性や限定性は無くなり、特別にあげつらう対象は無くなる、ということを意味しています。
さらに、Dの最後は『以無所得故』で結ばれており、これは読み下すと『得る所無きを以ての故に』と訳され、つまりそれを得るという対象、または、それを得ようとする主語的なもの(自我)にも、確立性や限定性が無いということを意味しています。
『是故空中』だから『以無所得故』なのであり、それを根拠としてその間にあらゆる無が列挙されるているのがDの構造になっています。
そして、もう一つ有名な『空即是色』ですが、これは近年間違いであると一部の仏教者から指摘されています。
理由は、空と色では空のほうが大きな概念で、例えるならば、
私(色)は人間(空)である(色即是空)は正しいが、
人間(空)は私(色)である(空即是色)は間違い、という論理です。
正に私もその通りだと考えますが、般若心経には詩心という観点も多分に込められていますので、問題とされる空即是色とは、「空と言えばほら、色でしょ!」と、理解してみるのはどうでしょうか・・・。
般若心経解説という、何の色気もないどストレートな行事でしたが、実行してみて良かったなと思っています。
当日、お忙しいご予定を繰り合わせてお越し下さった参加者の皆様に、心から感謝いたします。
今年は、また仏教勉強会も復活させたいと考えています。(^^)/
南無
初めまして、今回、般若心経の解説のウェブサイトを作りました。
それで、般若心経の検索でこちらのサイトを拝見し、勉強会までされているのを知りました。
般若心経の解釈は人それぞれで多くのものが存在しますね。
このような解釈もあるのだな?・・・こんな気軽なお気持ちで一度見て頂くと有難いです。
コメント頂き光栄です。
貴サイト拝見しました。
大変ユニークな解釈をなさっておられますね。
失礼ながら、神智学や道教の素地がお有りかとお見受けしました。
有難く参考にさせていただきます。
一点だけ報告ですが、コメント欄に入力していただいた貴サイトのURLに誤りがあるようです。
どうやら、hannyanomon.web.fc2.com でリンクが反映されるようです。
見て頂き有り難うございました。
神智学と言うものがある事を初めて知りました。
それから、リンクの件有り難うございました。