寺報の手配りが終わりました

この日は朝方が涼しく、いよいよ秋晴れらしい良い天気になる予感がしました。

寺報をまだお届けできていない御宅も残り30軒ほどでしたので、我が子の子守を兼ねて自転車を使っての手配りとなりました。

配り物をする時、私にはいつも思い出すことがあります。
それは私がまだ学僧として京都の聖護院にいた頃に見た、とある先輩のいつになくビシッとネクタイを締めその上に綺麗な作務衣を着るという不思議な姿です。
それは、信者さん宅に一軒一軒手配りでお札を届ける時の先輩の正装なのでした。

あの当時の私の目には、下はスラックスで作務衣の間にネクタイが覗くその先輩の姿はとても奇妙に写りました。

しかしながら、今の私にはその時の先輩の不思議な正装の訳が理解できる気がします。

その理由は単純で、坊主頭の男が人様の家の前をうろついているだけで怪しまれるのです。(笑)

私自身、着古した作務衣姿で御宅をまわりキョロキョロとポストを探しているだけで、
「何か用ですか?」と訝しまれた事が多々あります。(笑)
最初の頃は一々自己紹介をしてやっと安心してもらえましたが、自坊に戻り3年もすればたいがいの檀家様は顔を覚えて下さいました。

けれども、未だにふとした用事のついでに私服姿で訪ねてしまうと、結構な確率で怪訝なリアクションをいただきます。(笑)
それでも私の顔を見て3秒もすればたいがいの檀家様は顔を思い出してくださいますので、有難い事です。

悲しいかな昨今は世間も何かと物騒ですので、皆さん身構えてしまいがちなのは大いに理解できます。

というわけで、そんな実体験を踏まえ、最近の私は学僧時代に目にした先輩の正装を見習い、なるべく小奇麗な姿で、且つどなたから見ても一目で坊主とわかってもらえる姿で出向くようにしています。

身だしなみを整えては当たり前なのですが、あんまり小奇麗な格好も、これまた田舎のしがない住職に不釣り合いです。かえって気取った印象を与えてしまっては本末転倒なので、小奇麗もそこそこかなと・・・。そんなわけで、今日もドキドキしながら檀家様宅を回っている小心者の私なのでした。

↓以下、秋に移り行く護国寺周辺の風景です。

 


taichi
「信念が事実を創り出す」をモットーに、現代に生きた仏教を模索していきます。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です