高知の山伏が平服で三峰神社に参拝した話3(完結)

大島屋さんのわらじカツ丼を食べる前、馴染みの客でもある瀧田さんは店の女将さんに三鳥居の横にある博物館が臨時閉館していて見学できなかった旨を伝えてくれていました。

すると、なんと女将さんの電話一本で午後は開館という運びになりました。(恐らく臨時閉館の理由としての用事が、なんとか昼までに片付いたからだと思われますが・・・)

この地に生息していたニホンオオカミの全身の毛皮が、秩父のあるお宅に大切に保管されていたらしく、それが現在はこの博物館の見どころのひとつとして収蔵されています。

他にも、現在のコーヒーハウスつまりかつての高雲寺から運び出されたと思われる役行者と前鬼後鬼の像、十一面観音立像、不動明王像、さらには古今を問わない様々な作者による御眷属様の掛け軸、古い境内図(江戸時代?)などなど、さっきこの目で見てきた現在の三峰を歴史の面から補っていくには欠かせない多くの宝物が展示されていました。
(館内の撮影は自重しました)

特に、拡大して頭上に展示された古い境内図に示された『護摩壇』(本社に向かってすぐ右側、パワースポットの一つとされている御神木の前あたり)という文字と絵が私にとって印象深いものでした。

護摩壇が隣の高雲寺の前ではなくて三峰神社の右前にあること、この事実はやはり当時の神仏習合を如実に表すものであって、それは明治以前の日本人の宗教観の懐の広さを物語るものだと言えるのではないでしょうか。

 

今までちょこちょこと神仏習合というワードが出てきていますが、ここで少し、この三峰神社参拝のレポートから脱線するのですが、神仏習合を考える上での私なりの見解を述べさせてください。(小難しい話ですので苦手な方は飛ばして下さい)

今でこそ我々現代人には『政教分離』や『教育の宗教的中立性』なる概念は当たり前の事なのですが、明治以前の一般民衆にはそのような概念は無く、村に於いても都市に於いても子ども達を育てたものは画一的な公教育ではなく地域の共同体であったはずです。

その共同体は地域によって多少の違いはあったでしょうが、基本的には教育も経済も文化も全てその共同体の中で営まれていて、宗教とは言うなればそれらの要素を繋ぐ小麦粉(お好み焼きに使われる)のようなものだったのではないでしょうか?

様々な具材が集められ、伸ばされた小麦粉で絡められ繋がれ焼かれたもの・・・。それを我々は『お好み焼き』と名付けて読んでいるのであり、誰も『小麦粉で繫がれたもの』とは呼びません。

つまり共同体の中にいる人にとっては、その『小麦粉』が外国産であろうと国産であろうと、はたまたミックスされていようと『美味しいお好み焼き』(豊かな共同体)を作る目的に際してはさして問題は無かったのではないでしょうか?

如何に美味しくお好み焼きを作るか、つまり如何に上手に共同体を運営していくかという点に於いて、大事なのは小麦粉そのものではなく、多面的に媒介していく役割においての小麦粉であり、小麦粉は後世になって神道や仏教であったのだと後付けされてきたのです。

詰まるところ神仏習合という概念は、神仏が集合しているという意識化されたものに与えられた名称ではなく、『小麦粉を意識しないお好み焼き』とも言うべき共同体の営みに対して後付けされた『神仏が集合していたのだ』というお節介な分析と見るべきなのです。

以上の訳で、私は神道にも仏教にも大局的な視点で優劣などつけるつもりは微塵も無く、またかつての歴史を恣意的にほじくり返すつもりも無く、今自分が一仏教者であり修験者でもあるという実践面に於いて、公利的な観点から私にできることを坦々と取り組んで行くのみと考えています。

 

本筋にもどります。

博物館を出て時刻は確か14時そこらだったと思います。
ここからは三峰神社の奥宮が鎮座している妙法ヶ岳の頂上に登拝しました。

(ここからは先は画像中心で)(^^)/

道は木の根っこが自然の階段を成していて歩きやすく、霧でもかかっていればより神秘的な雰囲気になりそうでした。
画像には写っていないのですが、行き帰り沢山の人に出会っています。
小さなクワガタにも出会いました。
この付近では冬場になると小さな雪崩も起きるそうです。
終盤になると道は険しさを増してきました。それに比例するかの如く、山伏装束の瀧田さんは風景に融け込んでいきます。
博物館を出て一時間弱といったところでしょうか、頂上が見えてきました。
恐らくかつては行場でもあったのでしょう。鎖もつけられています。
三峰山と呼ばれる三つの霊峰の内のひとつ妙法ヶ岳から残る二つの雲取山と白岩山を中央に望んで・・・。
皇太子殿下もお登りになられた日本百名山のひとつ両神山(りょうかみやま)は中央やや右奥のギザギザとした稜線一番右になるそうです。
覗きの修行ができそうな断崖です。
三峰神社の奥宮に拝し、瀧田さんと二人で勤行させていただきました。

帰りは16時半に三峰神社の駐車場を発つ最終のバスに乗り込み、30分ほど揺られて今日の登山口である表参道入口のバス停大輪(おおわ)で降りました。

そしてこの日の宿は車で50分ほど移動し、日本百名山の一つである両神山の麓の両神山荘でお世話になりました。

女将さんの手料理はどれも私の好物ばかりで、正に五感で秩父の自然を満喫することが叶いました。

もう一泊することができれば、そのまま翌日は両神山へ登ってみたかったのですが、秩父では一泊二日、続いて高知に帰っても既に法事の予定が入っていましたので、結局翌日は車で秩父の聖護院ゆかりの寺社を回りました。

特に紹介しておきたいのは、越生(おごせ)の大平山の山中に祀られている役行者の御像です。↓

ちょうど、登山系のサークルらしき大学生も手を掌せてくれていました。
辺りは霧が立ち込めていて幽玄な雰囲気でした。
越生の聖護院門跡講の皆さんが大切に守って下さっています。

 

さて、いろいろと長くなりましたが、ふと考えてみると今回が私の人生で初めての埼玉訪問でもあったのですが、それもいきなり三峰神社に参拝してしまうという・・・これもやはり本山修験の末寺に生まれた私の仏縁なのかもしれません。

冒頭でも述べた通りこの度の訪問のきっかけは、私が瀧田さんのガイドとしてのノウハウを学びたいという思いから起したことなのですが、その趣旨を越えて三峰神社を中心とした秩父の歴史をかなり出しゃばって垣間見させてもらいました。
(ガイドの諸々のノウハウに関しても多くの収穫を得ましたが、舞台裏のことですので私のメモ帳だけに留めておきます)

この記事のタイトルは『高知の山伏が平服で三峰神社に参拝した話』となっていますが、この1泊2日で私がつくづく思い知らされたのは、このタイトルとは逆の『常に山伏装束で山に登る』という瀧田さんの信念に深い感銘とまた私自身への反省を受けたからでした。

秩父で本山派修験の行者として活動されている瀧田さんの想いをここで代弁することは私には畏れ多いですし、また変な誤解を生んでしまってもいけないので差し控えます。

ただ、瀧田さんが常に山伏装束で三峰を中心に活動し且つ山道で出会う全ての人に「有難うございます~」や「お気をつけて~」と和やかに挨拶されている姿勢を間地かで見て、そこから私が感じたことは瀧田さんからの秩父の山と人へ対する感謝でした。

自分がスポットを浴びる為ではけっしてなく、秩父での本山派修験の認知を高めるとともに神仏の棲み分けを尊ぶ姿勢。さらに、垣根を越えて広くたくさんの人に秩父の自然を愛し、神仏を感じてもらいたいという熱い情熱をヒシヒシと感じました。

最後になりますが、私がここで長々と並べ立てた御託よりも、是非瀧田さんの人柄に接しながら三峰神社に参拝してみてください。

予備知識ゼロで十分です。巷でもてはやされるパワースポットに負けない、ポジティブで温かなパワーを貰えるはずです! (^^)/

★瀧田さんによる三峰神社参拝の詳細はこちら
https://tabica.jp/travels/1518


taichi
「信念が事実を創り出す」をモットーに、現代に生きた仏教を模索していきます。

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