高知の山伏が平服で三峰神社に参拝した話2

薬師堂を過ぎると木立の中から本日目指すピークである妙法ヶ岳が拝めました。

冬場は山肌がもっと鮮明に見えるようです。

ここでも瀧田さんが持参してくれた、冬場の緑が少ない山のシルエットがわかりやすいフリップ写真と実際の風景とを交互に見やりながら、瀧田さん独自の観点が紹介されたり、なかなかガイドの趣向が凝らされています。

上手に画像を撮れなかったのですが、表参道中腹にはトチノキやサワグルミといった可愛らしい木々たちも風景に色を添えています。

気づけば、さっきまで微かに聞こえていた登山口を通る車の音も完全に遠のいて、かなり標高も上がってきたと思っていた矢先、電気が通っているかつての茶屋跡に出会いました。

後で確認すると茶屋跡付近の標高は920mそこそこ。
「あれ?今まで電線なんて見当たらなかったのに何で?」
と思っていると、どうやら三峰神社から電気を下へ引っ張って来ているようでした。

かつては宿坊も営んでいたような趣があります。

電気を引っ張ってきているということは、三峰神社はすぐそこだという期待に胸を膨らませながら、私のテンションは増々上がっていきました。

茶屋を過ぎると、私の地元でもお馴染みの植物が・・・。マムシグサでしょうか?
遥拝所に着きました! ここでやっと車で来た観光客の人たちと出会います。
秩父の里を望んで・・・。東京は画像の右外奥の方になります。

景色を見終わるとすぐにでも本殿に向かいたいところなのですが、この遥拝所から少し小道を進んで行き、普段のガイドツアーではマニアック過ぎて紹介していないシークレットポイントに立ち寄りました。

日本武尊がこの地に訪れ、秩父の里を眺めながらイザナギとイザナミの尊の国造りを偲ばれたという云われ・・・、その場所が実はここなのではないか!?という、あくまで瀧田さんの仮説なのですが、確かに言われてみれば↓の画像の瀧田さんの背後には遥拝所からと同じ景色が広がっていて、この祠をよく見るとどうやらかつては磐座であったものをコンクリートで補強した祠になっていました。
詳細は不明なのですが現在でもきちんとお浄めがなされていて、オオヤマツミノカミをお祀りされているようです。

 

さて、それではいよいよ三峰神社の楼門を潜り、近年関東随一とも呼ばれている聖域に伏して入りたいと思います。

本殿に向かって下っていくのは、私にとっては比叡山延暦寺の根本中道を彷彿とさせます。
楼門の手前の奥には日本武尊の銅像が建てられています。

↑の建物、現在は冬場の道路に撒くための融雪剤が詰まれていますが、実は明治大正時代の駐在所跡なのです!
何故に聖域に駐在所が必要だったのか?
その謎は敢えて詳細には語りませんが、かつての江戸の一般大衆が大勢で参拝に訪れていたという背景を踏まえての『聖と俗』・・・、その先は皆さんのご想像にお任せします。

寺院は山門、神社は楼門(随身門または随神門)と呼び分けるらしいのですが、三峰神社の楼門は随身門と表記されています。

大変きらびやかな装飾が施されていますが、現在のこの姿に修復がなされているのにはある逸話があるそうで、それは近年になってキャノンの子会社の社長さんが三峰神社に切なる想いで願掛けをしたところ、不景気の最中にも関わらず風向きが好転し会社の利益が跳ね上がったそうです。

そういう経緯から、その社長さんがお礼参りの証としてこの随身門の塗り替えの資金を買って出たそうです。
さらに、私も瀧田さんから聞いてびっくりしたのですが、
そもそもCanonの社名は観音様のカンノンから来ているというではありませんか!

わたしにとっては超絶ビックリなトリビアだったのですが、どうやら知っている人は知っているということらしく・・・、なんだか些かの悔しい思いを感じずにはおれませんでした。(笑)

でも考えてみれば、物事を正しく観るのが観音様の功徳の一つとされていますし、当時は精密機械とも言えるカメラ、それも被写体を正しく写すというコンセプトに立って考えれば納得のいくネーミングだなぁ・・・と、そんな余談を一人頭の中で考えながら気づけば楼門を潜ってしまっていました。(笑)

ちなみにこの楼門、神仏習合の寺社仏閣のお決まりでやはりかつては仁王門だったらしく、中の仁王像は神仏分離令によって明治初年に巣鴨の勝願寺に移されたそうです。
今は仁王像の代わりに2体の随神様が祀られていました。

境内の至る所に祀られている御眷属様はどれも江戸の各講社の奉納によるものらしく、どれもデザインが異なり、それもまた趣深い見どころです。
こちらはなんだかオリエンタルな風情を感じます(^^)/
赤い前掛けが少しミスマッチな気がするのも之また一興・・・。
珍しい生え方をした・・・、すみません、杉か檜か忘れてしまいました。でもこうして見ると巨大な鳥が足を揃えて聳え立っているようですね。

そんな風にこちらの想像力をかきたてられながら進むと、関東圏ではテレビやSNS等でお馴染みの本社に到着しました。

参考までに述べると、9時半に表参道の登山口を出発し、約3時間でここまで来ました。
私も一介の山伏ですので、ペースは一般の方よりは若干早めかと思われます。でも今回の瀧田さんのガイドは私も同じく山伏という事で普段以上にマニアックな説明をサービスして下さっていたので、その分時間がかかっているかと思われます。

つまり一般観光として下から普通に歩いて登ってくればちょうど3時間くらいで本社に辿り着くかと思われます。

楼門を凌ぐきらびやかで艶やかな装飾です。
最後の鳥居を振り返ると、鳥居にも関わらずお坊さんの名前が刻まれています。
本社前の最後の御眷属様。その後ろには御神木の神威にあやかろうとする参拝者の方が列をなしていました。

巷では三峰神社の中にあるパワースポットは6つある、などと云われているようですが、↑の御神木もその一つのようです。こちらは本社に向かって右側なのですが、左側にも同じように御神木があり皆さん参られていました。

ここにも築地市場の文字が・・・。秩父の奥でかつての江戸の町人の営みを感じます。
この日は普通の土曜日でしたが結構な数の参拝者で私たちも列に並びました。
三峰神社の『峰』は、正式には『峯』のようです。
こちらも6つのパワースポットのうちの一つ、龍が現れているようです。
確かに、右上に登っているような龍に見えますね。
社務所におられる権禰宜さんと親しげに話す瀧田さん。
江戸時代は聖護院の末寺であった観音院高雲寺はその風貌だけを残し、現在は小教院という名前のコーヒーハウスに変わっていました。

そして、かつての高雲寺に中世まで安置されていた観音菩薩の仏像が弘法大師空海作であったとも伝えられているそうです。

本社に向かって左に進むと小教院のコーヒーハウス、そこからさらに進み尾根道のような場所に上がると御仮屋があります。

どうやら江戸時代の秩父の里や江戸の家々に祀られた御眷属様の御札の交換はこの場所で毎年行われていたようです。
当時、御眷属様のパワーは隣近所50軒にも及ぶとも言われていたらしく、お代参りという形で村々の代表が毎年当番制でこの御札を授かりまた返しにと、御眷属様信仰は秩父の人々の営みにとっては当たり前のことだったようです。

この御仮屋前には左右合計4体の御眷属様がおわします。
右側の下の一体、瀧田さんお気に入りの御眷属様らしいです。(^^)/

御仮屋を過ぎて、尾根道を本社の方へとしばらく行くと、三峰神社所属の講社の方々が宿泊する為の施設の裏手に来ました。

一般の人でもあまり立ち入らない場所ですし、例の6つのパワースポットにも数えられていませんが、大きな梵鐘があるのです。

神社に梵鐘があるということは、正にかつての神仏習合の名残なわけですが、人目に付かないところに据えられているのが少し寂しい気もします。

けれども今日でも立派に鐘楼堂として残して下さっているので有難い事です。
萬松山東海禅寺の住職・・・とありますので、本来は三峰にあった梵鐘ではなく大戦時に没収されて闇雲に返却されたものかも知れません。
でも武州(かつての武蔵の国)の職人さんによる作とのことなので・・・真相は如何に?
13時を回ってお腹もかなり空いてきました。
けっこう珍しい三鳥居を振り返って・・・。三峰だから鳥居も三つといったところでしょうか?

お昼ごはんは、三鳥居を出てすぐの大島屋さんで名物『わらじカツ丼』をいただきました。
手をつける前の画像を撮っておくべきだったのですが、普段食レポの投稿をしない私はうっかり一枚目を頂いた後になってハッと気づきました。
中途半端な画像で申し訳なく、これではただトンカツが写っているだけなのですが、日曜日は行列になるのが普通の人気店です。

3時間かけて歩いて登ってきたので、カロリーのことなど気にせずに美味しくいただきました。^_^

左右2枚のどちらかを↑のように蓋の上に避難させておくのが美味しく食べるコツのようです。(^^)/

(またまた長くなりましたが、次回の3で纏めます(^^)/)


taichi
「信念が事実を創り出す」をモットーに、現代に生きた仏教を模索していきます。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です