薬師堂を過ぎると木立の中から本日目指すピークである妙法ヶ岳が拝めました。

ここでも瀧田さんが持参してくれた、冬場の緑が少ない山のシルエットがわかりやすいフリップ写真と実際の風景とを交互に見やりながら、瀧田さん独自の観点が紹介されたり、なかなかガイドの趣向が凝らされています。

気づけば、さっきまで微かに聞こえていた登山口を通る車の音も完全に遠のいて、かなり標高も上がってきたと思っていた矢先、電気が通っているかつての茶屋跡に出会いました。
後で確認すると茶屋跡付近の標高は920mそこそこ。
「あれ?今まで電線なんて見当たらなかったのに何で?」
と思っていると、どうやら三峰神社から電気を下へ引っ張って来ているようでした。

電気を引っ張ってきているということは、三峰神社はすぐそこだという期待に胸を膨らませながら、私のテンションは増々上がっていきました。



景色を見終わるとすぐにでも本殿に向かいたいところなのですが、この遥拝所から少し小道を進んで行き、普段のガイドツアーではマニアック過ぎて紹介していないシークレットポイントに立ち寄りました。
日本武尊がこの地に訪れ、秩父の里を眺めながらイザナギとイザナミの尊の国造りを偲ばれたという云われ・・・、その場所が実はここなのではないか!?という、あくまで瀧田さんの仮説なのですが、確かに言われてみれば↓の画像の瀧田さんの背後には遥拝所からと同じ景色が広がっていて、この祠をよく見るとどうやらかつては磐座であったものをコンクリートで補強した祠になっていました。
詳細は不明なのですが現在でもきちんとお浄めがなされていて、オオヤマツミノカミをお祀りされているようです。
さて、それではいよいよ三峰神社の楼門を潜り、近年関東随一とも呼ばれている聖域に伏して入りたいと思います。


↑の建物、現在は冬場の道路に撒くための融雪剤が詰まれていますが、実は明治大正時代の駐在所跡なのです!
何故に聖域に駐在所が必要だったのか?
その謎は敢えて詳細には語りませんが、かつての江戸の一般大衆が大勢で参拝に訪れていたという背景を踏まえての『聖と俗』・・・、その先は皆さんのご想像にお任せします。
寺院は山門、神社は楼門(随身門または随神門)と呼び分けるらしいのですが、三峰神社の楼門は随身門と表記されています。
大変きらびやかな装飾が施されていますが、現在のこの姿に修復がなされているのにはある逸話があるそうで、それは近年になってキャノンの子会社の社長さんが三峰神社に切なる想いで願掛けをしたところ、不景気の最中にも関わらず風向きが好転し会社の利益が跳ね上がったそうです。
そういう経緯から、その社長さんがお礼参りの証としてこの随身門の塗り替えの資金を買って出たそうです。
さらに、私も瀧田さんから聞いてびっくりしたのですが、
そもそもCanonの社名は観音様のカンノンから来ているというではありませんか!
わたしにとっては超絶ビックリなトリビアだったのですが、どうやら知っている人は知っているということらしく・・・、なんだか些かの悔しい思いを感じずにはおれませんでした。(笑)
でも考えてみれば、物事を正しく観るのが観音様の功徳の一つとされていますし、当時は精密機械とも言えるカメラ、それも被写体を正しく写すというコンセプトに立って考えれば納得のいくネーミングだなぁ・・・と、そんな余談を一人頭の中で考えながら気づけば楼門を潜ってしまっていました。(笑)
ちなみにこの楼門、神仏習合の寺社仏閣のお決まりでやはりかつては仁王門だったらしく、中の仁王像は神仏分離令によって明治初年に巣鴨の勝願寺に移されたそうです。
今は仁王像の代わりに2体の随神様が祀られていました。




そんな風にこちらの想像力をかきたてられながら進むと、関東圏ではテレビやSNS等でお馴染みの本社に到着しました。
参考までに述べると、9時半に表参道の登山口を出発し、約3時間でここまで来ました。
私も一介の山伏ですので、ペースは一般の方よりは若干早めかと思われます。でも今回の瀧田さんのガイドは私も同じく山伏という事で普段以上にマニアックな説明をサービスして下さっていたので、その分時間がかかっているかと思われます。
つまり一般観光として下から普通に歩いて登ってくればちょうど3時間くらいで本社に辿り着くかと思われます。



巷では三峰神社の中にあるパワースポットは6つある、などと云われているようですが、↑の御神木もその一つのようです。こちらは本社に向かって右側なのですが、左側にも同じように御神木があり皆さん参られていました。







そして、かつての高雲寺に中世まで安置されていた観音菩薩の仏像が弘法大師空海作であったとも伝えられているそうです。
本社に向かって左に進むと小教院のコーヒーハウス、そこからさらに進み尾根道のような場所に上がると御仮屋があります。
どうやら江戸時代の秩父の里や江戸の家々に祀られた御眷属様の御札の交換はこの場所で毎年行われていたようです。
当時、御眷属様のパワーは隣近所50軒にも及ぶとも言われていたらしく、お代参りという形で村々の代表が毎年当番制でこの御札を授かりまた返しにと、御眷属様信仰は秩父の人々の営みにとっては当たり前のことだったようです。


御仮屋を過ぎて、尾根道を本社の方へとしばらく行くと、三峰神社所属の講社の方々が宿泊する為の施設の裏手に来ました。
一般の人でもあまり立ち入らない場所ですし、例の6つのパワースポットにも数えられていませんが、大きな梵鐘があるのです。
神社に梵鐘があるということは、正にかつての神仏習合の名残なわけですが、人目に付かないところに据えられているのが少し寂しい気もします。





お昼ごはんは、三鳥居を出てすぐの大島屋さんで名物『わらじカツ丼』をいただきました。
手をつける前の画像を撮っておくべきだったのですが、普段食レポの投稿をしない私はうっかり一枚目を頂いた後になってハッと気づきました。
中途半端な画像で申し訳なく、これではただトンカツが写っているだけなのですが、日曜日は行列になるのが普通の人気店です。
3時間かけて歩いて登ってきたので、カロリーのことなど気にせずに美味しくいただきました。^_^

(またまた長くなりましたが、次回の3で纏めます(^^)/)