『大滝山修験道の道ウォーキング』レポート(前編)

天気も好転し瑞々しい初夏の日和を見込んでいましたが、まさかの強風が朝から日高村を吹き抜けていました。

『JR四国の駅からウォーク』の観光メニューとして日高村大滝山散策の企画を取り上げてもらい、5月3日に無事催行することができました。

大滝山は本山修験宗の総本山から国峰修行道場の選定を受けている正に修験道の霊山なのですが、近年は地元の人でさえ山に入ることがめっきり減り、実際は『忘れられた里山』の状況でした。

しかし、5年程前から護国寺の野外行事と絡めながら、私が小学生だった頃の元の大滝山の姿へと少しずつ整備を進めていたところ、1年程前から檀家様の川瀬さん主導による『大瀧山を守る会』の皆さんが大変有難い追い風となって下さり、現在の山の姿は30年程前の様相にかなり近くまで戻ってきました。

この日、村の駅ひだかの高野さんと猿田洞ガイド仲間の小能さん、そして川瀬さんの奥さんが私のガイドをサポートして下さり、皆で12時33分岡花駅着のお客様を待ちました。

自家用車で来られる方々は村の駅ひだかを駐車場として、そこから徒歩5分の岡花駅に集合されます。

ところが、岡花駅では数分置きに臨時放送が流れていて、
「強風のため瀬戸大橋線の通行見合わせの為、土讃線全駅で少々の遅延が発生しています。」とのこと。

雨上がりの翌日で気圧の変化によるものなのか、この思わぬ強風は日高村だけではなく、四国山脈を跨いだ瀬戸内海でも発生していたのでした。

ただでさえコミコミなタイムスケジュールを予定していたので、私は内心ヤキモキしながら下りの汽車を待っていました。(笑)

なんとか12,3分遅れといったところだったでしょうか、汽車が到着し残りのお客様が集合したところで、大滝山修験道の道ウォーキングがいよいよ始まりました。(^^)/

岡花駅から登山口まで、14ヘクタール(東京ドーム3個分相当)という県内最大の湿地帯であり調整池として村内の水害対策の役割を持つメダカ池に沿って歩きながら、水面に広がり風になびいている葦の瑞緑を眺めます。

元村長の中野さんの献身的な手入れのお陰で、今年もシャクヤクの花は満開となり、童謡『赤とんぼ』に登場する桑の実も池の周りの至るところで熟し始め、池の中ではカルガモたちが呑気に泳いでいました。

予定では25分で登山口まで来る見込みでしたが、はるばる県外から来られたお客様に今最高の景観シーズンを迎えている調整池の説明を外すことはできず、高野さんのガイドによるメダカ池フットパスの雰囲気でシークレットガーデンの下まで気づけばのんびりと歩いていました。

さて、ここからはいよいよ私がガイドを任され、この日の為に修験道の正装である鈴懸(スズカケ)を着用した山伏姿でお客様を案内します。

いろんな観点から足元をどうするか悩んだのですが、今回は藪の中を歩くこともありませんので、少し調子に乗ってより雰囲気を出すために草鞋を履いて挑むことにしました。

登り始めてすぐにモミジのトンネルの中を通ります。そして何年も前の台風で倒木してしまったかつての御神木を潜り抜けると、そこはもう大滝山の林の中です。

3月に『大滝山追跡ハイキング』で子ども達と遊んだ多羅葉や、青いルビーのような実をつける瑠璃実の木、ホウキの材料にもなるシュロの木など、一見変哲無く見える林の中もたくさんの不思議で溢れています。

もう少し陽射しこんでいると、ここはさながら北欧の森の中を思わせる(私は一度も北欧に行ったことなどありませんが・・・笑)美しい木立の中なのですが、川瀬さんによる整備のお陰で数年前に比べると格別に雰囲気が良くなっています。♪

その木立を過ぎると少し急な登りが続いて、一つ目の送電鉄塔(44番)と最初に出くわす巨岩が並んだ、山頂までの中間地点があります。
トゲの無いカラスザンショウの大木の根元が丁度座り心地の良いベンチのように横に伸びていて、そこへ束の間腰を下ろして小休止を取りました。

そこからゴロゴロと石が転がった緩やかな上り坂を行くと、山頂までの最後の踏ん張りどころである真っすぐに伸びる急な登り坂です。

そこを登り切ると、立ちはだかるのは大滝山のシンボルとも言える巨岩たち。

私は早速、昨日の地質の研修会で仕入れた知識をひとり嬉しがって披露しました。

このサイトでは何度もお伝えしているのですが大滝山の『滝』は正式には『瀧』なのですが変換がややこしいので検索対策として近頃は敢えて『滝』にしています。

そして、その『瀧』も本来は富嶽の『嶽(タケ)』つまり大きな岩や崖を意味する漢字がもとになっていて、そのタケが訛ってタキになり、本来の漢字の意味が失われてさんずいの滝になったのです。

わたしは以前から頂上付近に点在する巨岩の成り立ちについてひとり調べていたのですが、先日の地質の研修会でようやく腑に落ちる識者の方からの仮説を得られました。

先ず、日高村の地質の特徴としては何と言っても、グリーンフィールと錦山カントリークラブという2つのゴルフ場を越えた能津地区に露出している、国内でも指折りの蛇紋岩地帯です。

さらには、その能津地区と反対にある南の沖名地区の奥は石灰岩ばかりが露出する地帯で、ここには私が普段ガイドのお手伝いをしている猿田洞と名の付いた立派な鍾乳洞があります。

そもそも日本全体が複雑な地層と言えるのですが中でも日高村が属する一帯は、さらに地層が入り乱れたユニークな場所なのです。

大滝山はその中の一角に位置し、猿田洞からは山道を西北に歩いて40分の場所にあります。

あくまで仮説ではありますが、点在する巨岩の謎を紐解くのはやはり地質でした。

地質図を見ると、大滝山は泥岩と砂岩が混じり合った中にポツポツと『チャート』と呼ばれる生物岩が点在しているのが確認できます。

敢えてざっくりと説明すると、大滝山の巨岩はこのチャートそのものなのです!

チャートとは石灰岩と同じく、その形成において生物由来という意味で生物岩に属すのですが、石灰岩がサンゴや有孔虫の死骸が堆積して固まったのに対して、チャートとは藻類や深海のプランクトンに由来しています。

深海の底で小さなプランクトンがポツリポツリと降っているのをマリンスノーというらしいですが、それがとてつもない時間を経るとチャートが形成されるらしく、またその材質の硬度も石灰岩より遥かに硬く、また言うまでもなく砂岩や泥岩をはるかに凌いでいるそうです。

例えるなら、フルーツの粒入りのアイスクリームが少し溶けてフルーツが露出しているように、大滝山の巨岩の形成も、何千万年というとてつもない長い時間の中で砂岩と泥岩が削られて、その結果巨大なブロックのように現れ出たというのが、かなり有力な仮説のようです。

また、チャートはその形成において非常に色の変化を受けやすく、仁淀川の河原の石が五色と呼ばれていることも、このチャートに由来しているのが理由だそうです。

そして、このようにチャートの巨岩がドカンドカンと点在するのはかなり珍しい地形らしく、この点は大滝山の更なるアピールに益々利用できそうです。(^^)

個人的に、とても綺麗だと思っている大滝山山頂付近で採れたチャート。

・・・ということで、取敢えず前編はここまで~(^^)/

 


taichi
「信念が事実を創り出す」をモットーに、現代に生きた仏教を模索していきます。

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