『大滝山修験道の道ウォーキング』レポート(後編)

地質の話はこれぐらいにして、一行は大滝山の山頂まであと僅かのところまで登って来ました。

本来のルートでは先程の巨岩群が現れてくるところを右に曲がり、しばらく平坦な道を進み広場に出ます。
そこは麓から見えていた二番目の送電鉄塔(45番)がそびえる『大滝山公園』と名付けられた場所なのですが、もちろんブランコも滑り台も無く、そのかわりオンツツジやドウダンツツジなどが植えられた見晴らしの良い短い散策コースがあります。

この日は限られた時間の都合上、この広場を後に回し、巨岩群の場所からそのまま直進して登り続け、先に頂上へ向かうコースを取りました。

その道沿いで忘れてはならないのが、『金太郎の力石』と推定されている『山姥伝説』にまつわる石です。

~大滝山の山姥伝説~

その昔、訳あって都から落ち延びてきた二人っきりの乳母と童子が、この石から僅か10メートルほど下にある風穴に住みついていたそうです。

乳母は年齢的には若くはありませんでしたが、たいそうな美人でその身なりや所作も高貴な様であったそうです。

童子は名を金太郎と称し、やがて成長して怪力を持つ青年になりました。

一方、猿田洞の近くに住んでいた独身のお百姓であった五郎は、日頃からこの二人の境涯に同情して甲斐甲斐しく大滝山に通っていたそうです。

ところが次第に、五郎は乳母に恋心を抱くようになり、一度は口説いてみるものの失敗に終わり、ある時、金太郎の隙を狙って乳母を力ずくで我が物にしようとしたそうです。

そこへ異変に気付いた金太郎が現れ、五郎は慌てて乳母の身を離します!

事を理解した金太郎は怒りに我を忘れ、近くにあった800kgを超える卵型の大石を何と自らの頭上に持ち上げ、それを吾郎めがけて投げ飛ばしたそうです。

五郎は間一髪、投げられたその大石をかわしますが、金太郎のあまりの怪力ぶりに恐れおののき、大慌てで逃げ惑ううちに、そこから少し離れた崖の上から足を滑らせ命を落としてしまうのでした。

後世、五郎が足を滑らせて落ちた崖は『五郎が滝』として、また乳母と金太郎が暮らした風穴は山姥の洞窟として、大滝山の伝説に色を添えています・・・。

昨年、上から撮った五郎が滝ですが、雨の日は辛うじて滝っぽくなっています。

この他にも、大滝山の西の麓の竹の倉という集落には、年の瀬になると山姥が一人で正月の餅にする米を求めて、とある民家を訪ねたという民話も残っています。
そして快く山姥に米を上げた民家は不思議と生活が豊かになり、代々に亘って山姥を懇ろに祀ったと言われています。

これを言ってはなんですが、実は山姥の伝説と言うのは全国的にそこそこあって、山姥に関わる人々に幸福をもたらす話と厄災をもたらす話の両義性が付き物なのです。

でもそんな伝説が囁かれること自体、長い歴史の中でこの大滝山に関係した多くの人々がこの山を単なる普通の里山にしたくはなかったという証でもあり、いろいろとツッコミどころはあるのですが、敢えてそこは気にせずおおらかに受け止めて下さると幸いです。(笑)

余談になりますが、3月に行われた追跡ハイキングではこの金太郎の力石がフォトビンゴの箇所に充てられていて、スタートの時に子ども達に見せたその画像が若干横に引き伸ばされていました。
それが金太郎の力石であることを事前に知らされていない子ども達には、何故だかそれがUFOに見えたらしく、実際にそれを目にした時も
「あ!UFOやぁ~!」と歓んでいました。(笑)

こんなふうに伝説は生まれ、そしてまた修正されていくのでしょうか・・・?(笑)
とにかく子ども達の感受性に驚かされた私でした。

さて、金太郎の力石を過ぎると、この日の登り道もほぼ終わりです。

少し周りの木立が茂ってあまり陽の当たっていない平坦な道を進み、かつて五郎も通っていたであろう三角点(ここが実際に247mの標高です)を経由して猿田洞へと続く分かれ道も左手に通り過ぎると、視界は一気に開けて遥か石鎚山まで見渡せる頂上に到着しました。

今年の1月に撮った頂上の画像

現在の頂上には石鎚神社の祠が祀られていますが、これは昭和の中頃に入ってから建てられたものらしく、それまではかつての護国寺の前身であった大光院龍田寺の奥の院のお堂が建っていたそうです。

その証拠に足元をちょっと探せば昔お堂の屋根に葺かれていた河原の残骸や、その上に柱が乗っていたであろう柱石が目に入ります。

ここで2015年の秋には15人程がヨガをできたほど、見晴らしが良いだけではなくヤマモモの大木による木陰もあって、この場所に足を踏み入れるだけで何か神秘的な雰囲気を体感できると思います。
(日高村史の中のある記述ではここから太平洋も見えるとありますが、さすがに太平洋までは見えません。でも猿田洞の近くの向山からは土佐市の宇佐湾が見えるそうなので、ひょっとすると辺りの植林がまだ始まっていなかった頃は微かに見えたのかもしれません。)

景色もほどほどに、一行は次に頂上の斜め下にある胎内くぐりの行場を目指します。

普通、胎内くぐりと言えば、這ってようよう通れるような狭く長い穴を指すのですが、大滝山の胎内くぐりはすんなりと頭上さえ注意すれば通れてしまい、起死回生の有難味はそこまででもないのですが、通り抜けた先の右上には山内の石仏の中でも一際大きな不動明王を安置してあります。

実はこの他に不動明王の石像はもう一つあるのですが、その場所は皆さんで散策された時にぜひ探してみて下さい。(意外と頂上の近くにあります)

そして一行はかつての護摩壇の前を通り、大滝山公園に出ました。

例年なら今頃は満開のツツジなのですが、如何せん今年は桜をはじめ春の花木の開花が早かったですので、景色は一面生命力が漲る緑に溢れていました。

運が良ければ野ウサギに出会えたりなんかもする素敵な場所です。

また、この大滝山公園は大滝山(大嶽山)の云われになっている巨大な巨大な岩石の真上に形成されていて、かつてこの巨岩の足元の植林や雑木の背がまだ今ほど高くなかった頃は、麓の前を走る国道33号線からも綺麗にこの巨岩群の総大将とも言うべき大滝山のシンボルが見えていたのでした。

現在でも真下にある麓の住所は九頭ですが、大滝山を仰ぎ見る日高村の西端はなんと『岩目地』であり、それは読んで字の如く『岩を目にする土地』という意味なのです。

さらに、その岩目地にあり日高村と佐川町の学校組合立という全国でも珍しい学区が町村を跨いでいる加茂小中学校の校歌には、『紫匂う大滝の~♪』という歌詞が登場し、その紫匂うとは大滝山公園の岩場に自生しているミツバツツジの花が咲き乱れることを詩的に言っているのです。

これらの事実だけでも、大滝山周辺の里人たちがいかにこの山を意識した暮らしを営んできたか想像に難くありません。

2年前の画像ですが、断崖に咲く紫のミツバツツジです

山中のクライマックスは、総合運動公園の登山口の看板にも紹介されているセンジンガ洞窟を案内しました。

入り口は狭いのですが、中は立って12m程斜め下に進めます。
そこから下と上に穴があるのですが、下はすぐに行き止まりで、上に登るとまだ3m程は屈みながらまっすぐ前に進めます。
そこから奥は、中肉中背の人であれば何とか身体を横にして進めそうなクレバスのような空間がまた3mほど続いています・・・。

しかし、この先は私にとっては未だ深淵の神秘の領域で、ライトを照らした感触ではそのクレバスの奥をなんとなく左に直角に進めそうな気がするのですが、単独でそこまで行く勇気は私にはありませんでした。(笑)

この日も、ほぼ全員の方に12m程までは入っていただき、深淵から放たれるひんやりとした二重の意味でのレイキを体験してもらいました。

こちらも2年前の画像ですがセンジンガ洞窟の深淵。猿田洞の石灰洞とは全く趣が違います。

さて、下山の道のりは短いもので、洞窟を出てから約20分足らずで一行は護国寺まで辿り着きました。

地上を先回りしてくれていた高野さんのお父さんから、温かい淹れたてのコーヒーや村の駅ひだかでしか手に入らない特製の抹茶ケンピなどによるおもてなしで、スタート地点であり解散地点でもある岡花駅までの英気が養われます。

予定では護国寺に30分程の滞在時間で、住職である私からの説法という出しゃばった趣向もあったのですが、タイムスケジュールの調整のため流れてしまいました。

私の頭の中では
「え~今回の修験道の道ウォーキングとありました修験道とは、そもそも験徳を修し顕す道とも言われておりまして~、え~・・・その~・・・〇〇△□」
という内容も一応用意してあったのですが、それはもっと温めてまた別の機会に譲りたいと思います。

帰り際、各地の山々を楽しまれている御夫婦から
「こういうガイドさん付きで詳しい説明があるのは良いですねぇ~(^^)/」
という大変有難いお言葉を頂けました。

また、往路では少し日差しが足りず風も強かったメダカ池も、復路では西陽が当たってとても柔らかな雰囲気で、それと同調するかのようにお客様同士でかなり打ち解けて話ながら歩かれているのを目にし、私は少しばかりの達成感を密かに味わっていました。

また、ガイド同士の連帯も増々深まっている感じで、こういった取り組みを継続させていく方向性に関しても同時に一層確信を深めました。

この夏は伐採された木々の整理や、猿田洞方面への案内板の設置など、いろいろとうずうずしてしまう嬉しい悲鳴が私の頭の中でこだましそうな感じです・・・。!(^^)!


taichi
「信念が事実を創り出す」をモットーに、現代に生きた仏教を模索していきます。

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