ちょっと小説風にいきたいと思います。(^^)/
『奇跡の少年』
60余年が経って、少年は今生まれ故郷で屋形船の乗船ガイドをしている。
10数年前までは率先して地域の花火祭りの音頭を取ってきた。
さらに20数年前まではPTAの会長も務めたり、とにかく少年は誰が見ても社交的で明るく、そして気さくで善良な一人の大人に成長した。
でも、少年がまだ小学生の頃、その性格は内気で物言わぬ子どもで通っていた。
長男として生まれた少年は、父母の言う事に良く従い、家の仕事を真面目にこなした。
少年の暮らしには常に仁淀川の恩恵があった。昔は手長エビやウナギや鮎を食べるアイキリなど、川の生き物たちが沢山いて、今よりももっと豊かだった。
田んぼを守り畑を耕し炭を作り、昼ご飯は川にちょっと入るだけで手に入った。
便利さには程遠いが、自然に恵まれた暮らしの中で、少年はこの先もずっとそれが続くと思っていたし、学校で習う方程式の事やよその国の事などは少年の頭の中にある将来には関係がないことだった。
そんなある日、些細なことで友達数人にからかわれている少年が先生の目にとまった。
前々からこの物言わぬ働き者の少年の事が気掛かりであった先生は、敢えて少年に強く言った。
「だいたいおまんは口数が少なすぎる!それに頭も賢いはずやのになぜもっと勉強に取り組もうとせんのじゃ?」
少年は重い口を開いた。
「だって先生、自分はどうせ百姓になるがですき、今習いゆう勉強が将来役に立つとは思えません。」
「ばかもん!お百姓になるのも立派なことやけど、自分の可能性は学校で勉強しゆう間にちょっとでも広げないかん。」
続けて先生は言った。
「おまんはもっと自分に自信を持て。一度に出る人間の精子の数は何億もあるがぞ。それが何回もいろいろあって、やっと一つの精子が選ばれておまんが産まれちゅうがや。それやきおまんは何百億の代表ながぞ!」
少年とは対照的に、歯に衣着せぬ物言いの先生はそうしていつも闊達としていた。
というか闊達に過ぎていた。
水泳の授業の時間、当時は川の流れをせき止めて拵えたものが立派なプールだった。
それは本物のプールではなかったが、みんながそこで泳ぎを鍛えられ、逞しい川の子どもに育った。
そんな当時でも既に本物の水泳パンツならあった。
でも先生は必ず越中ふんどしを締めて、「いっちにっ!いっちにっ!」と勇ましく準備体操に励むのだった。
すました顔で先生が股関節を延ばす度、越中ふんどしからはみ出た先生の縮れた下の髭は、もちろん女子生徒に黄色い悲鳴を起させた。
「何百億の代表として先生から栄光を授かっても、女子の前で越中ふんどしを締めて準備体操ができる先生の真似は到底できっこない・・・。」
内心そんなふうに少年は思いながらも、先生への親しみと尊敬は増々高まっていくのだった。
また、先生は正直者でもあった。
よく授業の最中、自分は偉そうに人の道を説いているけれども、実は家では面と向かって奥さんに『ありがとう』が言えないこと、奥さんが作る手料理に毎度毎度『美味しかった』が言えないこと、そんなことを生徒たちの前で敢えて自戒の意味を込めながらしみじみと語っていた。
「・・・というわけで、もしワシが奥さんより早く死んだら、お前らの中で誰かワシの代わりに伝えちょってくれよ!」
冗談交じりにそう言っては生徒の笑いを取っていたことを、少年はよく憶えていた・・・。
戦後日本は驚異的な復興を遂げた。
村ではなくて都市が、炭小屋では無くて工場が、自然の豊かさでは無くてモノの豊かさが、少年の可能性を求めていた。
19の時、少年は自らに誓った。「いつか必ず帰ってくる。」と。
そしてまたここで根を張って生きるという決意を胸に、少年は故郷を出た。
学校の授業で習ったことはそれなりにまあまあ役に立った。
でも本当に役に立ったことは、先生から貰った『何百億の代表』という自信だった。
しかしよく考えてみると、それは誰にでも当てはまる事なのかもしれない。でもそんなことは問題ではなくて、あの時先生から直に言われた言葉に託された温もりが、遠く故郷を離れた少年の背中を押し続けていたのだ。
今までとは環境の違う場所、初めて会う人々とのいろんな出会い、仕事、恋愛、結婚・・・。少年の人生は大きな回転を始め、物言わぬ少年はいつしか社交的で明るく、そして気さくで善良な、一人の立派な大人になった。
仁淀川は流れ続ける・・・。
そして時間も流れた。
山あり谷あり、酸いも甘いも噛み分けて、彼はそれなりに年を取り、19の決意通りまた故郷に帰ってきた。
故郷に帰ってきた彼はお嫁さんを連れて、律儀にも先生の家に挨拶に行った。
ちょうど梯子をかけて庭のミカンを取っていた先生もそれなりに年を取っていた。
「先生、お久しぶりです!誰だかわかりますか?」
「わからいでか!ワシはおまんの事が人一倍気になっちょった。」
先生はもう退職されていたが、当時の闊達とした雰囲気はそのままだった。
「ところでおまん、ワシが今どうして梯子をかけてミカンを獲りゆうかわかるか?」
「そりゃ先生、高いところを奥さんが獲ったら危ないから、先にこうして先生が上って獲っちゃりゆうがでしょ?」
当たり前だといった顔で即答した彼に対して、先生は満足げな様子で優しく頷いた。
先生の満足げな様子を裏付けるように、故郷に戻り家族も増え仁淀川の側で営まれる彼の家庭は明るかった。
仕事も落ち着いて忙しい毎日を送っていた。
もう誰も彼が物言わぬ少年であったことなど忘れてしまった頃、先生は死んだ。
四十九日も終わった後になって、彼はその事を知った。
そしてハッと思い出した。
かつて物言わぬ少年であった日々、教壇の上、奥さんに伝えられない言葉や想いを正直に語っていた先生の事を。
彼はすぐに先生の家に向い、奥さんにそのことを伝えた。
彼の話を聞く奥さんは何度も頷きながらボロボロと泣いた。
もちろん彼も泣いた。
そして彼と先生の思い出の中だけにいる、あの奇跡の少年もきっと泣いた。
(終わり)
本文にもありましたが、『仁淀川の怪談夜話』と『奇跡の少年』のお話しをして下さった畑山博信さんは仁淀川屋形船の乗船ガイドをなさっています。
畑山さんの楽しいお話を聞きながら乗船を希望される方は、是非こちらの屋形船仁淀川のホームページで詳細をご覧のうえ、お問い合わせ下さい。(^^)/
