↑・・・はい。にも関わらず、ご覧の有様の私なのですが、いよいよ年末の大掃除は佳境です。
護国寺では毎月28日の午前9時と午後3時に護摩を焚いております。
檀信徒皆様の息災はもとより、門跡寺院末寺の務めである今上天皇御願円満さらには世界平和まで、参拝者の有無に関わらず、毎月修法しております。
平成22年12月の本堂再建より今日までの回数を数えると、早や150回以上焚いてきております。
一年間で基本的には24回、葬儀が重なる場合はやむを得ずできない場合もありますが、それでも午前午後どちらかは必ず焚いてきております。
その他、個人的な御祈祷の御用命を受けた時も護摩を焚きますので、一年間でやはり24回は本堂から白煙が上がっております。
本堂が完成して間もない頃は、寺からモクモクと上がる白煙を見られた地域の人が
「お寺さん火事やないかえぇ!?」
と心配をしてくれたものです。(笑)
それも今は月に一度の風景として認知だけはして下さっているようです。
毎月熱心にお出でて下さる方や同じ末寺の先輩からは、
「毎月4,5人しか人が来ないって・・・どうなん?」
と心配の御言葉を頂くのですが、
「ま、取敢えずはコツコツと続けて行くだけですよ!」
と、明るい返事を返し早や数年・・・。依然相変わらずの護国寺の護摩です。(笑)
そんな当寺の浄財箱(賽銭箱)と反比例して増え続けるのが護摩のススです。(笑)
本尊および仏像の周辺はもちろん毎回掃除をするのですが、写真でお分かりのとおり、高い場所にある天蓋(てんがい)は文字通りなかなか手が届かず、この年末の大掃除で一気にかたをつけるといった具合です。
護摩の舞台裏をお見せしたわけではないのですが、我々密教系の宗派は修行に必要な法具の準備や後片付け、さらには道場の掃除など、一般の方がイメージされる修行風景は実際のところ全体のうわべだけでして、勇ましく真言を唱えながら法具をガチャガチャ鳴らしている時間は本当にその修行の一部に過ぎないのです。
(特に天台と真言で修法される息災護摩は油やヨーグルトを護摩壇に投じますので、事後の掃除はかなりハードなものとなります。)
ですから、修行生活に入って間もない新人が、
「私は修行をする為にこの寺に入ったのです!掃除をする為に来たのではありません!」
と憤慨し、山門を下るということも実際によくあることなのです。
ちなみに修行時代の私はどうも頭がお留守でしたので、
「掃除だけに専念してればいいなんて楽勝じゃん~(^◇^)」という意識低い系が幸いしたのか何とか無事満行できたわけですが・・・(笑)。
しかし真面目な話、現在は一地方寺院の住職を務めさせていただき、日々檀務を中心に草刈り機を振り回したり、電話機を耳に私しかいない部屋でペコペコ頭を下げたり、スーパーでお供え物にする林檎の数を何度も数え直しているような私ですが、やはり
掃除はあなどれません。
仏教では掃除のことを下座行と呼び、どの宗派でもまだ入門して間もない修行僧は徹底的にそれをやらされます。
しかも、ただダラダラとやればいいというのではなく、いかに綺麗に且つ素早くできるかを最初の内は教えてはくれますが、そのうちに創意工夫が求められます。
そのハードルを幾つも乗り越えていくうちに、やがて修行僧は要領が良くなります。
『要領が良い』と聞くと、なにかずる賢いような印象を受けますが、そうとも言えず、この要領の良さが、下座行から一歩進んだ本格的な修行である「加行」(けぎょう)に入った時に大いに役立つのです。
加行は皆さんが想像なさる通りの修行です。段階が進むと睡眠時間も3時間ほどになることもあります。それも、一日中意識は仏に向かい、あれこれと新しいことを一気に学び自ら修法しなければなりませんので、ごく標準的な作務はなるべく短時間で確実に済まさなければならないのです。
それを例えるなら、
エンジンをかけるにも癖があり運転自体も無茶苦茶難しい車に乗り込み、しかもナビゲーターなしでひとり地図を見ながらオフロードのラリーをするようなものです。
そこでの下座とはつまり基本的な運転のことであり、いざレースが始まって、
「この度は弊社の特殊チューニングされましたニューコンセプトなOOをお買い上げいただき誠に有難うございます。云々・・・」
という取説を読む時間は毛頭ないのです。(笑)
体に染み込む、と言うと少々カッコつけすぎかもしれませんが、実際頭で考える前に動けるぐらいが下座の理想なのです。
今日こんな記事を書いたのも、日中掃除機を操りながら久しぶりに下座行の時のマインドを思い出したからなのですが、ここまで書いておきながら普段の当寺はそこまで掃除の手が行き届いておりませんので、ピカピカの本堂を期待されてお越しになられてもおそらく落胆されると思います。(笑)
しかし、意外にも毎月焚くことでかえって掃除が抜かりなくされるこが護摩の長所でもありまして、その毎回の掃除の時も今日のようなテンションで挑めればいいなと、今切に思っている次第であります。
南無