田植えが遅い田んぼでは蓮華が綺麗に咲いております。
大変有難い事に、ある一人の檀家様から昨日今日とご奉仕でお手伝い頂き、御陰様でヨガに向けての準備は順調に進んでおります。ヨガを行うスペースは問題なく綺麗なのですが、ヨガ終了後の散策をしていただく時の景観をより良くしたいが為、本来の道や植木の周りを占拠しているシダを駆逐しております。
お手伝い頂いた檀家様は、地元地域の治山治水への想いが人一倍お有りで、この山刈りの作業も住職に賛同していただけることは基より、その想いが昂じて鎌を振るというお話を伺いました。
一昨年と昨年の集中豪雨で、眼下に見える麓の地域が浸水したことなどを振り返りながら、少々大げさかもしれませんが自分の足で山に入ってみる意味を考えると、地球温暖化というスケールの大きい問題が、異常な雨雲の発生を呼び、それが昨今の集中豪雨につながり、荒廃寸前の里山の土を洗い流し裸地化をより促進させてしまい、最終的には土砂災害などの結果となる一連の流れがよりリアルに風景を前にしてイメージできます。
何気ない山刈りが治山治水への第一歩であり、また地元地域から地球規模の環境を考える、そんな時代になったのだなと改めて思い到る次第です。
話は飛びますが、私と妻は新婚旅行で屋久島を訪れました。
行く前に先輩住職から山尾三省氏の聖老人という本をお借りしました。その本は屋久島の観光名所となっているかの有名な縄文杉の事を中心に、著者の人生の遍歴や思想、それに屋久島の自然の中での暮らしが綴られており、私はそれを読んだ上で、旅先で出会った屋久島在住の人々の想いに触れ、帰路のフェリーで思いついたのが、『自らが根を張る地元地域で屋久島の精神を生きよう』というおかしな発願でした。
簡単に説明すると、縄文杉や屋久島という特定の限られた場所に依存するのではなく、日本国民それぞれが地元地域の素晴らしさに気づくことが大事なのではないかという考えです。
地球の中心を決めるのは人それぞれであると私は思います。
その考えのうえで、私はこの加茂の風景が私にとっての宇宙の中心でもあります。
世界を見渡そうとする想いと、地元地域を尊ぶ想いが、個人の視点で一体となってこそひとりの地球人で在り得るのではないでしょうか。