2014年に『地方消滅』というキーワードが同名の書籍のヒットとともに世の中に広がりました。
翌年にはその危機感ブームとも言うべき延長で、著者は異なりますが今度は『寺院消滅』という書籍が発売されました。
このことは全国の地方寺院の住職にそれなりのインパクトを与えたようで、反発や共感などそのリアクションも様々でした。
ここで、敢えて言わなければいけないことは、どちらにしても書籍『寺院消滅』に目を留めてリアクションした僧侶たちは、大なり小なりの危機意識を持っているタイプだと言うことです。
つまり、『寺院消滅』というワード自体が響かない、それは全く達観しているわけではなくて興味がない、
「どうせ地方寺院の行く末なんて自分の代のことではないのだから」
と考えて関心がない、そんなタイプの僧侶もたくさんいるという現実です。
それが現在、興味関心の無かった僧侶達もじわじわと危機意識を持つようになってきた、という状況にここ数年で変わってきました。
そんな状況を見越していたと言うと、なんだか鼻につく言い方になりますが、『寺院消滅』というマイナスのワードが悪戯にもてはやされる状況の中で、私が打ち出したかったプラスのワードが、このサイトのタイトルでもある『一地方寺院の挑戦』でした。
「この先は寺院が消滅していくのだ」
という風潮へのカウンターパンチ的な意味で、
「いやいや、世の中の風潮がどうであろうと信念を抱いて挑戦してる僧侶もいまっせ!」
という逆張りで以って敢えて出しゃばってやろうというのが私の企みでした。
そして『一地方寺院の挑戦』の内実とも言える私の活動は多岐に渡っています。
今振り返って見ると、その活動の根本は知識のインプットから始まりました。
聖護院での学僧修行を終えて護国寺へ帰ってきた時、大きなギャップに戸惑いました。それは、末端ながらも宗派の中核に居た時と、地方の檀家さんの前で本山の威を借りれない状況とのギャップでした。
世間の人がイメージするいかにも坊さん的な活動をしていた本山から高知に戻り、皮肉にもようやくその状況に置かれて初めて、自分が一僧侶であるという自覚を持ったのでした。
私にとっての一僧侶の自覚とは、どこそこの本山の〜とか、所属する団体が〜とか、僧階が~ではなく、よすがを絶たれたスタンドアローンの僧侶であり、宗派の教えや実践布教など程遠い、いやそもそも仏教であろうと神道であろうと、地方の現実を強かに生きる人々から見ると、私などはただ良くも悪くも『自分たちのご先祖様に祈ってくれる人』にしか過ぎないのです。
当初その自覚は一つの苦い挫折でもありました。
しかし、字の如く何かからの目覚めでもありました。
それは本山から戻ってきた1年後、今から10年程前のことでした。
それからの私は、先ず自分が宗教者ではなく一人の一般人であったらという視点を大事に持ちました。
そこから、我々宗教者の現代社会に於ける存在理由とも言うべき、活動の必然性を求めました。
その為に自分には欠落していた『仏教の知識』それも極端にアカデミックなものでは無くて、一般人にアウトプットしたときに自分の活動の必然性とすんなり合致する知識。言葉は適切では無いですが活動の裏付けのようなもの、そんな切り口をもって大量の書籍を読み漁りました。
生来の懐疑的な性格が逆に功を奏したのか、現在の私にはいわゆる無神論の人にもそれなりに好印象を与えつつ反駁できるくらいの知識が備わりました。
しかしその過程では、いろんな葛藤がありここでは多くは語りませんが、具体的には
「そもそも何故、善が推奨されうるのか?」
「実のところ自然やひいては宇宙には密教が想定しているような慈悲など無いのではないか?」
「地球上のあらゆる信仰や観念や思想に最終的な折り合いがつきそうに見えないのは、人間の活動時代が本来虚無なのではないのか?」
みたいな疑問が以前にもまして大きく膨らんで、自分では耐えられないくらいになりました。
そんな葛藤の末にたどり着いたのが、
「そもそも統一原理など無いのだ。」
という達観であり、また
「虚無であろうともなかろうとも、自分には関係が無いのだ。」
「世界や真理がどうこうではなく、自分がどうしたいのかこそが重要である。」
そして
「自分がこう在りたいという信念、それを体現していける可能性がこの世には確実にある!」
という境地に至りました。
「境地に至った」なんて普通は恥ずかしくて言えない言葉ですが、それは仏教で言うところの『諦観』かも知れず、それは自らの愚かさと仏性とも言える可能性が同時に内在していて、いや内在と言うか現前しているような感じで、例えるなら広大な世界を覗く小さな窓からの一視点があり、その窓に移る風景を選ぶ意志があり、そういう意味に於いての意志としてだけ『自分』があるというような・・・。
とにかく自らの意志を、自らの信念を、それだけを体現していこうと思えたのです。
そこで一応は心の平安的なものを得られたのですが、それはこういう場で2000文字ぐらいを起して人に説明すればこそ一応は伝わりますが、何も行動しないのであれば、体現しているとは言えない状況でした。
そんな中、次の転機が訪れました。
それはある知人の方の死でした。
葬式坊主をやっていて今さら、と思われるかもしれませんがその方の死は当時の私に強烈なものを与えました。
その方は以前から私に
「是非、谷さんの思想や話を公の場で多くの人に知らしめたほうがいいですよ。」
と、きっとお世辞ではなく度々言って下さっていました。
それなのに私は
「いやいや、まだ20代半で人生経験も僧侶としての経験も浅い私がそんな出しゃばってはダメですよ。」
と当たり障りない謙遜で返していたのでした。
そんな矢先、その方は不慮の事故で急逝されました。
「ゆくゆくはこういう形で私の理想を体現していきたいんです。」
と明るくにこやかに話されていたその方の意志は、突然に自らの寿命が尽きてしまったことで体現することが叶わなくなってしまったのです。
私はその方の死後、しばらくしてふと思いました。
「自分は今何をしているのだろう・・・。」
「私もいつか死ぬ。いや、いつかではなくて確実に死ぬのだ。」
「でも今、自分は確実に生きている。」
「それじゃ、自分の信念を今すぐに体現していかなければ!」
それからの私は、生と死の二つがあるという思いを超えました。
『意志を体現していくかどうか、それしかない。』
現在の私が、いろいろと出しゃばって『一地方寺院の挑戦』なる取り組みを続けている原動力には以上のような背景があります。
外は桜の花びらが舞う季節になりました。
何を一人力んでいるのだろう・・・?とも正直思ったりします、
でも、自分の死を意識することで自分の生を咲かすような、そんな感じで今日も生きています。
南無