地方寺院はハブになれるか

三が日も終わり、お正月の緩やかな雰囲気が少しずつ遠のいてきましたが、今日は以前の寺報で取材させていただいた檀家様のイチゴのハウスにまたしてもお邪魔してきました。

毎年お正月返上で収穫に追われるとのことでしたが、確かに世間にはお正月の雰囲気とは縁が遠いお仕事をなさっている方もたくさんおられるのだと、しみじみと想いをはせる次第です。

さて、今回も少々長文になろうかと思いますが、しばしお付き合い下さいませ。

記事のタイトルにあります『ハブ』とは、もちろんハブ科の毒ヘビのことではなくて、本来は車輪の中心を意味し、そこから広義の意味での地域の中心、つまり1対多数でありながら双方向の関係性を保つことが可能な寺院を意味します。

敢えて言うと、現在の地方寺院(特に檀家寺)の形成は、江戸時代に幕府によって政治的に進められた寺請制度(てらうけせいど)に端を発します。

寺請制度とは徳川幕府の配下にある民衆(つまりほとんどの日本人)は総じてどこかの寺の檀家に所属しなければならないとする、言い換えれば『寺によって戸籍を把握されなければならない』制度で、17世紀の半ばには広く普及していました。

それまでの日本の葬儀には二通りあったようで、一つは現在に似た形で、祭壇が設けられ僧侶が出向いて読経をするというもの。しかし、これはそれなりの経済力と権威をもった貴族・武士・大商人に限られていました。
もう一つには、一般民衆の近所同士のなかで相互扶助によって営まれる葬儀。これには原則として僧侶が関わることはなかったようです。

おわかりのように、その二通りの内、圧倒的に数が多かったのは後者のほうであり、現代の豪華な祭壇に生花が飾られ、普段聞き慣れない漢字がやたらと用いられる葬儀は、かつての支配層の葬儀を原型としたものなのです。

そんな中世までの葬儀事情と、各宗派の勢力が拮抗し且つそれぞれが宗旨の存続をかけて信徒獲得の争いに目くじらを立てていた時代。それらの関係を狡猾にも政治的に利用し、また、外部からのキリスト教布教という脅威への対抗策としたのが、時の幕府の官僚たちなのです。

つまり、中世までの仏教は、比叡山の僧兵に代表される、武力を持ち幕府の統制が効きにくい勢力を生みやすく、さらには幕府に虐げられる百姓を宗教的な力で束ねて一揆という形で蜂起する、反権力の火種を作りやすい。
また一方では、民衆に支持される僧侶の後ろ盾となることで、間接的に民衆の支持を得られる。

つまり当時の仏教は、時の権力者にとってのもろ刃の剣なのでした

実際のところはよくわかりませんが、織田信長がキリスト教に寛容であったという歴史的事実から推測して、彼の道徳性を評価する見方があります。が、しかし、私は違う見方をしています。

時の為政者が宗教に寛容であったり、また自らも熱烈な信者であったとするのは大抵の場合、その動機としては政治的な思惑があるのであり、つまり民衆を上手に扇動する為か、あるいは純朴な民衆の信仰心を利用して、自らの特権的な立場を保身する為なのです。

現在の国政に於いても、長らく自公連立が保たれていることからもわかるように、当時も今も為政者達は、状況的に自らに利をもたらすある種の宗教は庇護し、自らに脅威となるある種の宗教に対しては、現在では社会的に抹殺し、450年前なら焼き討ちにしてきたのです(延暦寺の焼き討ち)。

さて、そんな為政者達によって維持されてきた制度が大きく揺らぐのが、字の如く明治の維新です。

特に、土佐という土地柄は坂本龍馬を始め幕末の志士達を多く輩出したことからも想像できる通り、維新のムーブメントは比較的大きかったようです。

理由はそれだけではないのですが、現在の高知の葬儀事情を覗くと、神式の葬儀が多いのも、その維新の煽りを受けた廃仏棄釈の影響が強いようです。

つまり、寺請制度とは全国民を管理し把握するためのものであり、一般民衆にも僧侶の読経が入った手厚い葬儀を施そうという福祉的な観点から始められたものでは決してないのです。

そして、利に預かるのは幕府だけではなく、全国の各宗派全ての末寺には、寺院を運営していくのに充分な檀家数が割り当てられました。

寺院はそれらの檀家一軒一軒で死人が出るたびに葬儀の導師を請われ、またそれに続く年忌法要つまり法事にも末永く要請されることで、収入源が欠かれることなく、寺院そのものの存続が約束されたのでした。

これで、幕府に遣わされた地域の役人達はわざわざ一軒一軒の民家を回ることなく、村の寺院に顔を出すだけで、今で言うところの国勢調査に相当する手間を省くことができたのです。

そして各宗派の総本山は、それぞれの末寺からの収益を吸い上げ、従来からのピラミッド構造をより強化することで、宗旨の存続は安泰となり、それまで他宗と激しく争っていた信徒の奪い合いも、一応は治りをみせたのでした。

飼い慣らされたと言うと、仏教の先達に失礼ですが、事実上は幕府から与えられたその制度のお陰で、もう為政者への脅威となる力は消え失せたのでした。

さて、以上述べたことが、当寺も含む現在各地に存続する地方寺院の大まかな成り立ちと言えます。

それを踏まえた上で、地方寺院の必然性を捉え直すと、それは良くも悪くも慣習という要素無くしては成立し得ず、つまり、仮にその必然性に反対の主張が出たとして、それが現代の日本国憲法で保障されるところの信仰の自由を堂々と掲げて挑まれた時には、もはや我々地方寺院の住職はその主張に反駁することは出来ても、退けることは決してできないということです。

それでは、このライフスタイルと価値観の多様化が認められた現代で地方寺院は無用の長物なのでしょうか?

いえいえ、それを決めるのは、世間という漠然としていて割り切れないものではなく、地域性や宗派の違いを越え、各地で踏ん張る住職一人一人なのです。

このサイトのタイトルの英字にもありますが、『信念が事実を創り出す』、その言葉通り、我々地方寺院の住職はそれぞれが持つ僧侶としての矜持や信念に基づき、日々虚心坦懐に実践を続けていけば良いのです。

この先、世の中はもっと多元的になり、ざっくり言えば、国内の法律に抵触しない限り何でも有りの自由なライフスタイルを個人が謳歌できる、そんな時代になると、私は何となく根拠なく感じています。

そもそも、寺院消滅が世間の話題に上がる風潮へのカウンターとして、このサイトを立ち上げましたが、先にも述べた通り、たとえそれが事実であったとしても、それが嫌ならまた違う事実を創り出せばいいのであり、何も僧侶がお先真っ暗に捉える必要はないのです。

危機感は持っても悲観する必要は無いのです。

さて、少々くどくなりましたので、本題に移りますが、要するに私が考える地方寺院は『地域のハブとして機能すべきである』、ということです。

先に長々と述べたように、350年ほど前から地方寺院はすでに事実上地域のハブだったわけですが、しかし残念ながらそれは為政者からの要請によるものでした。

それでも、そこから生まれた良き村社会としての側面も確かにあったことは事実であると思いますし、また小難しい理屈抜きで地域の民衆の清らかな信仰心に支えられ、その賜物として、現在の我々地方寺院が永らえてきたことは真摯に受け止めております。

しかし敢えて、従来からのハブの概念を、ここでそろそろアップデートする飽和点に今我々は立たされているのではないかと、私は自らを省みています。

かつての受動的なハブから、言わば能動的なハブとしての地方寺院へ、今、変化の時であると思います。

それを意識しての第一歩が、当寺の寺報のいちコーナーである『檀家さんに聞く』の取材なのです。

全てとは言えませんが、各檀家様の家族構成やお仕事、場合によっては秀でた趣味などのプロフィールを把握している寺院が、積極的に檀家様を地域の内外へアピールすることは、決して弊害をもたらすものではないと考えています。

「あ、毎日前を通るあのお店も、我が家と同じお寺だったんだ〜。」
という檀家さん同士の親近感が生まれたり、
「へぇ〜、こんな珍しいことに取り組んでる人が地元にいるんだ〜。」
という地域への関心や、購買意欲を引き立てたり・・・。

あわよくば、そのような利益提供が檀家様に対してできるかもしれない。また地域活性化の小さな一助となれるかもしれない。それこそが私が構想するハブとしての地方寺院の実践です。

寺院を囲む周囲の地域には、些細なことでもきっと何か『話題』があるはず、それらをまずは檀家様の中でシェアし、それが小さな化学反応となり連鎖して、地域を元気にしていく。

それらを理想で終わらせるのではなく、まずはやってみること。とにかく、地域の除け者としてのハブにだけはなりたくないと思っています。(笑)

我が護国寺周辺には、紹介したい檀家様がたくさんおられます。

是非、来たる3月に発行される次号の寺報もお読みいただければ幸いです。

ご覧の通り、出荷シーズンはこれからが本番です。

南無

 

 


taichi
「信念が事実を創り出す」をモットーに、現代に生きた仏教を模索していきます。

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