ベイビーレイニーデイリー

賛否両論ありそうですが、実は僕は『神聖かまってちゃん』というバンドの大ファンです。

未だネット配信というのものが今日のようなメインストリームでのツールになっていなかった2009年頃、当時の僕はいろんなニコ生主が刹那に消費していくアジテーションとも言うべき面白さに、顔の見えないスペクテイターの一人として夢中になっていました。

当時は確かユーチューバーという言葉は存在せず、収益そのものを配信のモチベーションとはしない良くも悪くも面白い配信者がたくさんいました。
スティッカム、Ustream、ニコニコ動画などが、圧倒的にYouTubeを凌いで未知の可能性に溢れていました。
それらのいろんなプラットフォームの中の一人の配信者として『の子』を見つけました。

『の子』(本名:大島亮介)は神聖かまってちゃんのリーダーであり、ギターとボーカルを担当し、ほぼ全ての作詞作曲を担当し、当時は自作のPV制作と配信もほぼ一人でこなしていて、その圧倒的なセルフプロデュースと、独特にして解る人には解る的な、拗らせ過ぎた思春期の延長のような世界観に僕は一気に魅了され、以後現在でもコアなファンの一人です。

大島亮介さんは僕より年が一つ下なのですが、ほぼ同世代という一方的な親近感も相まって、僕自身の思春期の中で言葉にできなかったことや、音に乗せてカタルシスを果たせなかったいろんなモヤモヤが手作り感満載で見事に世の中に放たれていく様を見て、僕は只々無性に無償に応援したい気持ちになったのでした。

さて、タイトルのベイビーレイニーデイリーは、僕が『神聖かまってちゃん』の楽曲の中で一番好きで、尚且つ僕はとても仏教的な歌詞だと勝手に解釈しています。

詩の中で登場する、
「雨がふってた方が人たちは生きやすい」とは、二重の意味を持っています。
一つには単純に地上に生きる生物としての人間にとっての恵みの雨という意味。そしてもう一つの意味は、雨=この世の不可抗力や個人個人の悩み、さらには人間同士の煩わしい関わり合いを無難に避けるために傘をさす最もな理由としての雨。

でも、そんな傘という自己防衛を取りながらも、風邪をひき少しずつ身を削らせている人が僕を含め多くいらっしゃるのが実際のところではないでしょうか?

「風邪をひいてるか、下からのぞいてやる」

「雨の中のぼく、君に泣き続けてる 雨の中のきみ、あえて言わないだけです」

傘というパーソナルスペースに敢えて踏み込みながらも他者と関わりたいとする健気な願望。

そしてお互いが傘を外し、雨という現実の『苦』に二人でずぶ濡れになっている中での、「敢えて言わないだけ」。これは正に仏教の『寄り添い』や『慈悲』以外の何者でもないと僕は深読みしています。

是非、↓のワーナーミュージックの公式PVをご覧になって、神聖かまってちゃんの世界観に触れていただけると幸いです。

この曲が世に出てもう10年も経つのですね。

南無


taichi
「信念が事実を創り出す」をモットーに、現代に生きた仏教を模索していきます。

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