春うららか、とはまさに今の季節のことで、この天候の穏やかな日中の時間を、私は寺報の手配りに充てています。
それも、割とフォーマルな服装の上に法衣を一枚羽織るスタイルで自転車に乗って・・・。
ほんの少しだけ冷たい、清らかさを感じさせる風を頬に受けながら、常に斜め前の地面にユラユラと揺れている自らの影に目を落とします。
それは、ハンドルを握った両腕のたもとがハタハタと風になびいている無様な私の影であり、車とすれ違う度、人とすれ違う度、
「あっ、ネクタイ締めた坊主がチャリに乗っとる。おもろ。」(無表情)
とでも言うかのような、無言の視線を体に浴びながら、キコキコとペダルを漕ぐ私は、日高村の春に目立った、一種の『異様』なのでした。
この『異様』、実は去年の春から確信犯的に私が行なっている寺報の手配りのスタイルでして、わざとらしく健気な坊主を演出しております。(笑)
あくまでも、健気に写るといいなぁ、ぐらいの願望を抱いてのことなのですが、そこには『坊主が何かしてる』という事実を、より広く認知してもらうという狙いがあります。
昨今の寺離れが叫ばれる中、様々な趣向を凝らした活動が全国各宗派の寺院で展開されていますが、私が思うに、まず誰が見ても坊主であるとわかる姿で、町(村でも)に出て何かをすることから、いろんな機縁が生まれるのではないでしょうか。
大分前にも書いたことなのですが、30過ぎの坊主頭の男が庭先をうろついているだけで、田舎では大概、不審に思われます。(笑)
都会の人がイメージされる、朗らかな笑顔で挨拶を交わし合うという、良き田舎の明るい風景。
しかしそれは、地方の現実にはほとんどありません。
実際は、それぞれが何かしらの遠慮を以て距離を置きながら、それでも根っこではお互いに慮っているという、どこかこそばゆい、そんなありふれた日常を、我々地方人は強かに生きているのです。
その強かさが、『不審に思われる』という現実の事象となって現れるわけです。
つまり、寺報配布で檀家様の各お家に立ち寄る際、私は普段の法事の時とは真逆の、緊張した挨拶の雰囲気をいつも体験します。
できれば白衣の上に黒の法衣、いわゆる日本の坊さんの典型という出で立ちが理想なのですが、一日に百件以上ポスティングしていく為のスピーディな動きには適しませんし、その正装だと雨の日にはまいってします。
そんな実体験の中から落ち着いたのが、カッターシャツにネクタイという割とフォーマルな印象を控えめにアピールし、その上に黒の法衣を羽織るという今の私のスタイルです。
顔と名前を覚えていただいているにも関わらず、庭先玄関先でバッと出会うと、一瞬では護国寺の住職と気づいていただけないことが、いまだに多々あるのです。
まぁ、とにかく、住職とはよく言ったものですが、住んでばかりではなく、少しでも地域の中での機縁を生み出す為、積極的に檀家さん宅を回ることは、決して悪い事ではないと思っています。
それに、先に述べたような都会の人がイメージされる『明るい田舎の風景』、それを身をもって体験するというような、嬉しいひと時もあるのです。
もちろん、ごく稀な事ですが。
いや、
そうでもない、
今日を振り返れば、
あんなことや、こんなことが・・・・・、
意外と意外と・・・、
結構・・・結構・・・、
あったかも!
ごめんなさい。
今日の事を思い起こすだけでも、のどかで明るい田舎の風景はやっぱりありました!(笑)
たとえば、私が村でも数少ない、ある団地の中を行ったり来たりしていた時、
「誰の家を探しゆう~?」(誰の家を探してるの~?)
と、優しく声をかけてくれた御婦人。
「まぁ、いつも熱心なことねぇ。」
と、ちょうどお出かけのところ、労いのお言葉をかけて下さった奥さん。
遠慮と思い遣りの狭間の、強かな田舎の日常の中でも、自然とホッと良心に触れることが、今日も実際ありました。それは本当に有難い事です。
また、一方では、批判的な事を言われたり、恥をかくこともあるにはあるのでしょうが、それもまた一つの機縁なのであり、そこから何かを気づかされる、また学ぶことができるのだと思います。
護国寺の近隣の檀家様には、地区ごとに組み分けをさせていただいております。
昔からの習わしで、大変有難い事に、盆前と暮れはその組内の持ち回りで、当番の方が配布等のお手伝いをして下さいます。
そして春と秋だけ、私による手配りとなっています。
過疎化の影響を受けて、この先いろいろと変わってくることもあるのでしょうが、私の体力が続く限り、この寺報の手配りは続けていくつもりです。
国道33号線沿いの、『レストラン高知』の辺り、さらには『村の駅ひだか』の辺り、3月と9月の初め頃、寺報を荷台に満載した自転車をユラユラと漕いでいる怪しい坊主、それは私です。(笑)
もし、見かけた際は、宜しくお願い致します。(^^)/
南無