何度でも夏の匂いを嗅ごう

1000のバイオリン

ブルーハーツの名曲ですが、その歌詞の中の一節が上の言葉です。

この曲はトム・ソーヤーの物語を生み出したアメリカの作家マーク・トウェインの名作『ハックルベリフィンの冒険』にインスピレーションを受けて作られています。

この曲自体は高校生の頃から知っていて、THE BLUE HEARTSの中でも特に私が好きな曲です。
小説の方はわりと最近で5年くらい前に初めて読みました。

この記事を書いている今、高知はやっと梅雨が明けてきた感じで、今日は暑いながらも結構カラッとしていて、汗を掻きながら夏を体じゅうで感じた一日でした。

多分この曲は、こんなTHE夏の夜に窓を網戸にして1000のバイオリンさながらの虫達の声を聞きながら、甘ったれたノスタルジーに少々の感傷を抱きつつも、まだ見ぬ未知の世界への冒険に思いを馳せながら耳を傾ける・・・、そんな曲ではないでしょうか。

 

話は飛びますが今日の午前中、地元の加茂小学校で行われた菊池省三先生の模範授業を縁あって見学させていただきました。

授業が始まる10分位前に2年生の教室にお邪魔すると、生徒たちは1階の教室の外の芝生に面したベランダで、愛すべき小さな生き物たちと思い思いに戯れていました。

そこには、ダンゴムシ、イモリ、カエル、ミミズ、巣から落ちたスズメの雛など、きっと生徒たちが休み時間や登下校中に各々集めてきたであろうたくさんの生き物達が、直射日光の当らない校舎の陰にそれぞれ透明のケースに入れられて、子供達の学びの友として待機させられていました。

まだ朝露が乾ききっていない芝生から梅雨の名残のような湿気を感じるベランダに出ると、すぐに生徒たちは私の手を引っ張って、あっちの生き物こっちの生き物、あれは誰が獲ってきてこれは誰が育てているかなどなど、我こそはと矢継ぎ早にレクチャーしてくれました。(^^)/

みんな平気で素手で触っていました。都会ではありえないことなのかも・・・。

いたって無邪気

そこにはただ、生まれ持っての好奇心と覚えたての慈悲心だけがあって、この夏の暑さへの憂いなど微塵も無く、まるで健やかを絵に描いたようなひと時でした。

そしていざ授業が始まると、菊池先生持ち前の教室全体の自己効力感を上げまくる授業に、生徒たちはすぐさま引き込まれていきました。

指が折れるほどの拍手の音と、菊池先生が名付けるところの『やる気の姿勢』の沈黙、その二つが交互にメリハリ良く教室の時を刻み、あっという間の模範授業が終わりました。

クラス全員一人一人が考え予想した言葉で黒板は埋まりました。素敵です。(^^)/

さて、小説の中でハックルベリフィンは確か10歳位で、支配者たちがイビキをかいている夜の扉を開けてどうしようもない父親のもとを飛び出し冒険に繰り出します。

この日私がふれ合った、豊かな環境ですくすくと成長している7,8歳の小学2年生の子供達と、劣悪な環境から逃れる為に未知の冒険に出るしかなかったフィンを無理やり重ねるつもりは全くありません。

しかし、ハックルベリフィンも加茂の2年生も、両者の間でその好奇心と覚えたてのあまりにイノセントな慈悲心は共通していて、それは33歳の中年になってしまった私の心を激しく揺さぶるのでした。

 

話はハックルベリフィンの冒険に戻ります。

冒険の中で、フィンは2人の詐欺師と道中を共にします。かねてからの親友であり旅の仲間でもある黒人のジムとフィンは、その二人に振り回されます。

愛想を尽かしたジムがフィンに言います。
「だがハック、わしらのこの王様たちゃあ(2人の詐欺師のこと)、本物の悪党だ。そうにちげえねぇ。ありゃあ、本物の悪党だ。」
フィンは応えます。
「そうさ、そう、オレも言ってるんだ。王様たちは、どいつもこいつも、たいてい悪党さ。オレが証明できるかぎりではな。」

このフィンの言葉にはしたたかな少年の反骨精神が表れていて、また反権力の正にロック(音楽)の精神が宿っています。

そして、物語の終盤に登場するフィンの親友トム・ソーヤーの言葉は普遍の力強さを以て我々に訴えてくるのです。

「奴らに、ジムを閉じ込める権利なんかないんだ!~(中略)~奴は奴隷なんかじゃない!奴は自由なんだ!この地上を歩いているどの生き物よりも自由なんだ!」

「いいですか、オレがやりたかったのは、その冒険なんですよ。

1000のバイオリンは、そんなハックルベリフィンの冒険の世界をそのまま音楽で再現した名曲です。

小説の舞台となっている19世紀前半のアメリカの南西部、その当時の環境と比べて豊かで気の利いた現代の日本。

その中で学ぶ子どもたちに、1000のバイオリンの歌はどんなふうに響くのでしょうか?

冒険など、そもそも必要なのでしょうか?

トム・ソーヤーやハックルベリフィンのような憐れな子どもたちを無くすために社会は計算され修正され、幾人もの功績者が興した運動が広がり、今日の教育環境が築かれてきました。

私はその事実と現状に異を唱えるつもりは毛頭ありません。

ですが、私は・・・、自分はやはり、
何度でも夏の匂いを嗅ぎたい男でありたいです。

そうやって自分を奮い立たせ、もうすぐお盆の季節です。

南無

調整池にはこの土地の夏を代表するチョウトンボが、強い日差しを軽やかに反射して、ヒラヒラと飛び回っていました。

taichi
「信念が事実を創り出す」をモットーに、現代に生きた仏教を模索していきます。

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