自然のなかの不自然

高知もそろそろ梅雨が明けるころです。

先日起きた北九州での豪雨による災害では、現時点でも29名の方々の死亡が確認されています。

また、復旧の目処が立たない中今もなお多くの被災者の方々が避難所生活を強いられています。

2017年という、かつて私が小学生の頃に思い描いていた近未来の日本では、科学と文明の力がいよいよ高められ、『雨』が原因で人が亡くなることなど有る筈が無いと思っていました。

ましてや、現に先進国であるはずのこの日本に於いて・・・。

しかし現在の現実は、局地的な豪雨という原因に多発した山崩れが重なり、結果、未曽有の大惨事が起きています。

専門家の見立てによると、『表層崩壊』という厚さ数メートル程度の表層土がすべり落ちる現象が一斉に多発し、それによって土砂とともに流された杉などの植林木が河川をせき止めたことが、大規模な浸水の大きな原因でもあるようです。

加えて個人的な推測ですが、敢えて逆に考えると、いわゆる里山荒廃という時代の流れと共に、間伐や切り出しが放棄され裸地化が進んだ植林地という原因に、この局地的豪雨が重なったと見ることもできるのではないでしょうか。

護国寺のある日高村は、豊かな自然溢れる村として対外的には広報されていますが、その実は手入れが放棄された里山に囲まれた、いつ土砂災害が起きても不思議ではない村です。

実際、昭和50年の台風5号によって発生した山崩れによって25名もの死者が出ていますし、その悲劇から42年経った現在、土建産業の功績の甲斐あって多くの砂防堰堤が建設され、かろうじて被害は免れていますが、行政による里山再生の根本的なアクションは何も起されていません。

今回の九州北部の土砂災害は、日高村だけではなく他の多くの山間地に於いても全く他人事ではなく、そこが局地的豪雨に見舞われればいつ起きてもおかしくない災害であると言えます。

過疎地の山奥に作られた立派な道路、急斜面に画一的に植えられた木々、それら田舎ではごく普通の風景・・・、

それらは実は自然の中にある不自然の象徴であり、その管理されるべき不自然の管理が手放され、そして誰もが不自然であることを忘れた時、自然の脅威は一段と我々に迫ってくるのです。

悲劇を繰り返さない為に、この大滝山の麓でも今から取り組めることがあるはず。

 

 


taichi
「信念が事実を創り出す」をモットーに、現代に生きた仏教を模索していきます。

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