護国寺の御札は仁淀川の和紙

「持ち上がるけど、持っていない。」

まるで、禅問答のやり取りにでてきそうなコメントですが、当寺の御札の紙を制作して下さっている紙漉職人田村寛さんの言葉です。

寸分の狂いなく重ねられた漉きたての和紙。この量で障子紙150枚分ぐらいだそうです。
昔から、いの町では3点釣り、土佐市では4点釣り。田村さんは独自にアレンジした4点釣り。

舟と呼ばれる浴槽のような大きな木の枠の中に満たされた仁淀川の伏流水。そこへ和紙の原料となるミツマタやコウゾの木皮の繊維が、糊替わりとなるトロロアオイの粘り気に助けられ、清らかな水と満遍なく交じり合っています。

その船へ沈められるのは、ケタと呼ばれる和紙作りには欠かせない、畳より一回り小さい木の枠。
そして見上げると、天井に並行して横に寝かされた三本の竹・・・。
ケタはその竹の適度なしなり具合を利用して吊るされ、白濁の波の上で、まるで田村さんの両手に操られる人形の如く、小さな飛沫を上げながら華麗に舞います。

上の言葉は、そんな紙漉の作業に黙々と取り組む田村さんが、ごく自然とさり気なく言い放ったもので、舟の中をジャブジャブと上下するケタの動きについての、培われた技術を持つ故の実に言い得て妙なコメントなのでした。

さて、タイトルの繰り返しになりますが、檀家様にお配りしている護国寺の御札は、土佐和紙工芸村の和紙職人さんで在られる田村寛さんに漉いていただいております。
原料はもちろん仁淀川流水域の植物から作られていますので、100%仁淀川の恵みに与った御札と言えます。

その和紙ができる工程を、贅沢にも工房にお邪魔し、一から十まで丁寧に教えていただく機会に恵まれました。

実は、護国寺の新たな行事として、『和紙から造る写経体験』を構想しています。
それは言葉通り、参加者自らが和紙作りの各工程を体験し、写経の用紙を造り、さらにはそこへ護摩の灰から造られた墨汁で写経をするという、未だかつて類を見ない構想です。(笑)

そもそも意外なことに、紙漉とは和紙作り全工程の二割程にしかすぎません。
先ずは、原料となる木を伐採し、それを窯で蒸し、洗いながら塵を除き、余計な皮を削ぎ落とし、棒で叩いて繊維を柔らかく解し、トロロアオイと混ぜ合わせ舟の中に投入し、さらに仁淀川の清水の中にかくはんさせるザブリという作業を経て、やっとのことで紙漉の段階に来るのです。

常に3つに分かれて成長していくことからミツマタと名付けられました。
田舎の空き地や道路沿いなんかでよくみる楮(コウゾ)。
左奥に見える大きな桶を被せて蒸します。最低3人がかりでの作業になるとのこと。
皮を剥いだ残りの芯は焚き付けとしてよく燃え、かつてはお茶作りの業者に買われていたそう。
蒸して、洗って、塵取りをされたコウゾ。
さらに、指先についた鬼皮と呼ばれる余分な皮を削ぎ落とすヘグリという作業が続きます。
見たまんま叩き棒と呼ばれる道具で繊維をほぐしてきます。
トトロアオイの根っこ。オクラに似た植物で、敢えて花を咲かさずに根っこに養分を蓄えさせたもの。
根っこから出る成分を精製するとご覧のようなネバネバの液体になり、繊維が水に上手く溶けるのを助けます。
指に挟まれた小さな糸のようなものが、繊維の最小単位。
上の配合とはまた違う繊維の塊、こちらはもっと細かく緑がかっているとのこと。
繊維とトロロアオイの精製したものを舟に投入。
満遍なく攪拌(かくはん)させます。意外とあまり沈殿はしないようです。
さらにザブリと呼ばれる作業。この道具は日高村の歴史産業館にもありました。

田村さん曰く、その工程には忍耐、精進、さらにはある種の三昧(精神集中が深まりきった状態)に似た、仏教的な気づきが多分にあるとのこと。
ならば、それら一連の工程を法話を交えながら実際に体験することで、写経に向かう気持ちも一層深まり、また自らが漉いた紙に書き終えた般若心経を読誦する感慨はひとしおのものであるに違いない。

そんな閃きが私の中に沸々と沸き起こったのが2年程前。
今ようやく、実行の段階に入ろうとしています。

それにあたって、先ずは『和紙』というものがどうやって作られているのか、それを一から勉強する為に田村さんの工房へお邪魔しました。

「寒い・・・。」
という外気温を受けての皮膚感覚とは正反対に、私の興味と田村さんの『伝えたい!』という想いは、外の寒さを忘れるほどの熱さでした。
また、理系のバックグラウンドを持つ田村さんの解り易い説明から、『和紙作り』だけではなく、100年前の日本の地域の産業は、それぞれが密接に結び合いながら、自然と共に里にあったのだということがよくわかりました。

話を聞いて始めて知ったのですが、土佐和紙の知名度は明治以降の近代化の流れに乗って産業が効率化されると共に上がってきたそうです。
先に説明しましたケタという道具も、明治以前はもっと小さなものだったらしく、大量生産と効率化を図る過程を経て、現在の形と大きさに落ち着いたようです。

この日の滞在時間は2時間半ぐらいでしたが、あっという間に過ぎてしまうくらい、田村さんからの興味深い話は尽きませんでした。

中でも、同じ商品であるにも関わらず、夏と冬の季節の違いによる品質の差異にこだわりを持つ一流の書道家からの高度なオーダーの話題や、ケタに挟まれた極細の竹ひごでできた『ス』の目の細かさ、また伽耶で出来たスの存在や、ケタそのものに拵えられた驚くべき超微妙な反り・・・。

『ス』。気の遠くなるような目の細かさ。なんと、これよりまだ細かいのもあるそうです。
各縦棒の上に沿うようについた細い棒の高さが、微妙に調整されています。真ん中に繊維が溜まるのを防ぐために、真ん中が敢えて盛り上がるように工夫されているのです。

それら和紙作りに秘められた数々の秘密は、日本という文化や歴史を代表するものであり、また田村さんを始めとする職人さんの日々の精進の中で、確かに生きている伝統なのです。

一方で、田村さんが言われた、
なんでも昔の製法でやれば、昔みたいな和紙ができるのか?、と言えば実はそうではなくて、目の前の河原に降りて直に和紙を洗っても和紙は汚れてしまうし、天日干しをしても変なシミができてしまうこともある。この里の自然自体が昔とは変わってしまっている。」
という言葉が、妙な逆説が効いていて、考えさせられるものがありました。

まぁ、ともかく、『和紙から造る写経体験』の行事へ向けて、先ずはゼロベースで知識を取り入れ、視野を広げることができたのは何よりの収穫でした。

田村さんのお考えでは、具体的なネックとなるのは写経用紙サイズのケタの制作になるとのこと、私も同感です。

出来れば今年中の開催に向けて、またあれこれと取り組んで行きます。

一緒に同行してくれた、日高村地域おこし協力隊の中本さん。初体験にも関わらず、田村さんに褒められていました。(笑)

お邪魔した最後に、特別に紙漉を体験させてもらいました。
元来が不器用な私はお見せするまでもなく、散々な出来栄えだったのですが、同行してくれた中元さんは、この日が紙漉職人への第一歩となりました!?(笑)

↓まずは、中元さんの実演

そして、和紙職人田村寛さんの実演↓


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「信念が事実を創り出す」をモットーに、現代に生きた仏教を模索していきます。

2件のコメント

  1. 昨日はありがとうございました!とても楽しくて、もしかしたら本当に紙すき職人への第一歩になってしまったかもしれません!?「す」作り職人さんにも弟子入りしたい感じです。

    1. やはり職人の技には、恐れ入るものがありますね。そう、この人の技に恐れ入る、という感動をもっと多くの人に共有してもらいたいですね。

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