よさこい祭りが終わり、高知の夏は佳境を終えたかに見えます。
夕方6時近くになるとヒグラシの鳴き声がやたらと耳につくようになり、否が応でも日に日に夏は遠ざかっていきます。
けれども、そんな感傷とは別に連日の酷暑は未だに居座っていて、まだ当分は暑さとの戦いが続きそうです。
私に於いても今日からの4日間は例年の月遅れ盆の期間に当たり、夏の師走とでも言うかのようなあたふたとした様相で、方々の檀家様宅を駆けずり回る予定です。
ふと、この拙ブログのアクセス解析を眺めていると、振り返って四半期間の人気記事は2年ちょっと前に書いた『施餓鬼棚のいろいろ』が最も読まれているらしく、90日間で538プレビューされていました。
90日間でひとつの記事が500以上プレビューされているということは、一日平均5.5プレビューということです。
プロブロガーには笑われますが、このサイトの5月以前の一日のプレビュー数の平均はせいぜい30ぐらいです。
それを踏まえると、5月中頃から『施餓鬼棚のいろいろ』がかなり読まれていて、さらにそれの余波を受けて過去に書いた他の記事も少しずつ読まれているという現状は素直に嬉しい事です。
また、同じく過去に書いた記事『夏、お盆です』ではお盆の日本的風習の面からの自説を述べました。
というわけで、今回は以前に割愛した目連尊者(もくれんそんじゃ)の話を少し紹介したいと思います。
正式には盂蘭盆会と呼ばれる日本のお盆の行事は、あくまでも仏教行事なわけでして、その由来となったのが目連尊者のある物語です。
目連尊者はお釈迦様の高弟の一人で、第二のお釈迦様とまで呼ばれた舎利子(般若心経などに登場するお釈迦様の一番弟子)と肩を並べる高弟であったと言われています。
お釈迦様の多くの弟子の中で舎利子は智慧第一として崇敬され、目連尊者は神通第一として崇敬されていました。
神通とは今でいう超能力のようなもので、中でも目連尊者の神通とは自他の前世や来世を見通せたり、未来を予知する能力があったそうです。
そしてある日、既に亡くなってしまっている自分のお母さんが死後の世界でどうしているのか気になって神通力を使って見てみると、なんとお母さんは餓鬼道の世界に堕ちてしまっていたのでした。
餓鬼道の世界とは、食べたくても食べれない且つ飲みたくても飲むことが出来ない、そんな苦しみの世界です。
目連尊者はショックを受けて、お釈迦様に相談します。するとお釈迦様は、
「7月15日は自恣(じし)の日だから多くの僧侶が私のもとに集まってくる。その時に自ら多くの僧侶に食事を供養しなさい。その功徳が巡り巡って餓鬼道に堕ちたあなたの母を救うでしょう。」
と言われました。
目連尊者はその通りに行い、お母さんは無事に餓鬼道の世界から救われたそうです。
お盆のお参りで私が唱えているお経『仏説盂蘭盆経』にはその詳細が書かれてあるのですが、ぶっちゃけると、実はこのエピソードは後世の中国で作られたものだと言われています。
それを裏付けるかのように仏説盂蘭盆経には『孝』の漢字がたくさん入っていて、漢民族には特に顕著である父母を敬う孝行の思想が強く盛り込まれています。
でも、後から中国で作られたからと言って何も排斥する必要は全くなく、仏教はお釈迦様一人に収斂されるものではけっしてないので、長い遍歴の果てに日本に伝えられ、以後日本の文化によって脚色されたものも立派な仏教であると私は考えています。
また逆に、合理的に合点がいく面もあります。
仏説盂蘭盆経のお釈迦様の言葉にある「7月15日は自恣(じし)の日」ですが、この自恣(じし)とは、たくさんの出家の僧侶たちがお釈迦様のもとに集まって懺悔をした日とも言われています。
それにはちゃんと理由があり、インドの季節は現在でも3つに大別することができて、それは雨季と乾季と酷暑季の3つです。
当時の僧侶たちは、雨季の間めいめいが岩屋に籠ったり精舎と呼ばれる修行道場のような場所で集団生活をしながらも個々で瞑想をし、つまり雨を凌ぎながら自分自信と向き合う修行に専念するのでした。
自恣(じし)とは、その修行期間中に、各々の僧侶に起きた心の迷いであったり、戒めを破ってしまったことなどをお釈迦様に報告し、アドバイスをもらったりするための大事な日なのでした。
そしてその自恣の日は、ちょうど季節の変わり目に当たり、乾季になると遊行といって旅をしながらの乞食の生活を送るのでした。
でも疑問を抱いてしまうのは、インドの雨季は凡そ6月~9月とされていて、また乾季は10月~2月だそうです。
とすると、7月15日が何故に季節の変わり目?と思うのですが、これは恐らく『雨季から乾季への変わり目に自恣(じし)の日があった』という事実だけが先行して、当時のインドの気候を考慮せずに、中国の気候に合わせ且つまた中元の日にも合わせようとした為ではないでしょうか?
また、『自恣(じし)の日にたくさんの僧侶が各々の修行を終えて集まってくる』という箇所が、後世の仏教徒にとって、
「我々の御先祖様もあの世で一仏弟子として修行をしていて、その修行を一旦終えて帰ってくるのは我々がいるこの世なのだ」
というふうに拡大されたというのも無きにしも非ずではないでしょうか。
最後に補足として付け加えると、以上のような事からお盆にはお墓参りをしないというのが一般的なようですが、実はそうでもありません。
阿弥陀如来だけを信仰する浄土真宗に於いては、亡くなった人々は全て阿弥陀如来の極楽浄土に往生しているので、むしろ帰ってくるはずはなく、お盆の期間は普段以上に阿弥陀如来とのご縁を深める日であるとしてお墓参りも推奨しています。
また、お盆は祖霊に対する供養であり、施餓鬼は無縁の諸霊などに対する供養であるとして二つを明確に分ける宗派もあります。
いろいろ諸説入り乱れての日本のお盆なのですが、やはり一番大事なことは『団欒』ではないでしょうか?
それも故人様という存在がある故の生きた者同士の団欒、それを有り難く想いながらみんなで楽しく団欒をして結びつきを深める。
たぶんそれこそが故人様が一番喜ぶことであるはずです。
南無