秋の彼岸の中日となりました。
今年は20日が彼岸の入りにあたり、昔から続けている千体流し供養もその日に行いました。
千体流しとは、主に地蔵菩薩の御影が描かれた小さな紙を、オンカーカーカビサマエイソワカという真言と共に一枚一枚川に流し、文字通り千体を一つの区切りとして行う供養です。
全国的には、出産前に死産した水子さんに対して、寺の境内の水のある場所で営まれることが多いようです。
ところが高知県では水子さんに限らず、御先祖様や最近他界された親しい人々に対して、実際に河原や橋の上から川に流すのが特筆されるべきところです。
また川にとどまらず、海に流す千体流しもあります。
高知県での千体流しは主に密教系の寺院の中に多いですが、その他禅宗の寺院様でも古くから営まれているようです。
かつて2003年当時は、上の画像のように毎年20名弱が集われた護国寺の千体流しですが、今年は私のアピール不足がたたり僅か3名という参加者の少なさでした。
年々減少傾向にある千体流し供養という行事に新たな参拝者を増やすべく、私の構想の中では前々から、この千体流し供養を仁淀川の屋形船の上から行いたいとあれこれ模索しておりました。
(ちなみに上の画像の場所は九頭集落へのメインの入り口にかかる日下川を跨ぐ橋ですが、現在は葦が繁り過ぎて、もはや千体落としという悲惨な状況になってしまうため、近年流している場所はここより少し上流の六社神社の付近です。)
しかし、いくら宗教行事で地蔵尊の御影が描かれた水に溶けやすい特殊な紙を流すといっても、やはり日本一の透明度を誇る清流仁淀川に異物を溶かすことが自分の中でどうしても気がかりです。
結局、今年も例年通り護国寺近辺の日下川でそこそこの水量に恵まれて営むことができました。
仁淀川に流すのはダメで地元の日下川なら良いのか?
日下川も放水トンネルを経て仁淀川に合流するというのに!
という指摘には自問自答を繰り返している訳ですが、わざわざ場所を移して新たに仁淀川よりも、昔から行っている日下川で昔通り細々と行うのであれば何とか行事を続けていく側としての言い訳にはなるかなという感じです。
けれども、川に物を溶かさない&流さないのであれば、仁淀川での開催はかなり現実味を帯びてくるように思えます。
でも、流さないのであればそれはもう千体流しではなく、(笑)
灯篭流し的な、後で回収することを念頭に置いた行事になるかと思われます。
~彼岸の頃の夕暮れ、清流仁淀川を下る屋形船の上で僧侶が厳かに読経を続ける中、その周りを並走する小さな灯篭舟達の風情溢れる彩りが川面に揺れる・・・~
そんな漠然とした構想があるにはあるのですが、この数年実行に移せず、何とももどかしい気持ちです。
現に今も目下の課題として日々リマインドしていながら早や半年が経ってしまっている取り組みもあり、今はそちらの方の臨場感を高め実行に移していくのが優先です。
それでもなんとか、仁淀川にあやかる行事を作りたい!
正直なところ、それが私の欲深い企みです。(笑)