雨の献茶彼岸会となりましたが、総勢15名の方がお見えになりました。
数日前の胃腸炎のせいで準備が行き届かないところもありましたが、それはそれとして良い意味で諦め、当日はバタつかず何よりも心穏やかに参加者の皆さんとこの一会を大切に過ごすことに努めました。
『喫茶去』という禅語に習い、今日ここで様々な背景を持った人々が集い、それぞれに縁故ある大切な誰かの為にお茶を点てる。
それは言葉による分別の世界を出離して、ただただ喫茶去・・・。
誰が?何を?何処で?何故に?
人と人が出会うと、そのような設問が自然となされるものですが、それらは当人の体験から一般化された途端、もう元の当人にとっての意味を損ねてしまっているのです。
だからこそ、ただただ無分別の喫茶去・・・。
私はそんな感慨を胸に、読経の最後に参加者の皆さんに般若心経の唱和を促して献茶の式を終えました。
続いて、尊前にお供えしたお茶を、護国寺の総本山である聖護院ゆかりの西尾八ツ橋のお菓子と一緒にいただきながら、シタール奏者のダヤカールさんの登場を待ちます。
参加者の中には、かれこれ20年来シタールの演奏を生で聴いてみたいと切望されていた方もいらした程、皆さん待ちに待った奉納演奏でした。
ダヤカールさんからは演奏の前と途中、ヴァラナシのお話がありました。
『大いなる火葬場』とも呼ばれるヴァラナシは3000年以上の歴史を有すインドの聖地の名前で、お釈迦様が最初の説法をなさったサールナートもこのヴァラナシの街に含まれます。
日本では一般的にベナレスと誤読され、高知の南国市にも同じ名前の葬儀会場があるくらいです。
「ガンジス川の賜物でもあるヴァラナシには『解脱の館』という、24時間祈りを捧げながら、静かに死を待つ施設があるんです。」
そのようにダヤカールさんから語られるヴァラナシの話は、現代日本人が連想する暗い『死』のイメージとは異なったもので、『花は枯れて土に還り、また芽が出て太陽に照らされ、天に向けて枝を広げる』というような、大きな全体性の温もりを感じさせました。
またそれは、ダヤカールさんご本人の穏やかで明るいお人柄も相まって、死の話をしながらも人を安心させる不思議な温もりでもありました。
以前このブログでもダヤカールさんのシタールの感想を書いたことがありますが、今回も私はそれと似たような体験をして、耳から脳に入ってくるシタールの音で体がポカポカと癒されました。
何よりも、茶道の先生やダヤカールさんそして参加者の皆さんそれぞれが、護国寺で開かれたこの献茶彼岸会を通して相互に新たなご縁が生まれたこと、これはまさに仏縁成就そのものなわけでして、大変有り難い春の好日となりました。
4月からは昨年に続き、また高新文化教室の枠で高須のサンピアにてダヤカールさんのヨーガ教室も開かれるそうです。
詳細は下のリンクをチェックして下さい。
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