ある檀家様の四十九日法要と納骨供養に当らせていただきました。
故人様は生前、持前の溢れるバイタリティを活かし20代で起業、一度は倒産の苦汁を経るも、諦めない不屈の精神で再び会社を再興、且つ社員の方々にも慕われる仁愛に満ちた社長さんで在られました。
実は以前、故人様は護国寺までわざわざお出でて下さいました。
それも半身が不自由で介添えの必要な奥様と御一緒に、ましてや自らが癌と闘う身体であられるにも関わらず、ご自分で車を運転され、手術の影響でかすれてしまう声を懸命に絞りながら、自らの死生観を語って下さいました。
内容の詳細については差し控えますが、その大意は『なるだけ自然に帰りたい』というもの。
葬儀もごく身近な親族と数名の社員だけに声をかけ、ごくしめやかに営みたいこと。
また、墓石も不要で遺骨は先祖ゆかりの森の中にひっそりと葬ってほしいとのこと。
文字ずらだけで要約すると消極的な印象を受けますが、じっくりお話を伺った上で私が受けた印象としては、そこに極めて深い死生観を感じましたし、また自然のありのままの理を通じて仏性を見出す『即身成仏』の仏教感さえ、ひしひしと伝わってきました。
そのお話に共感した上で、私が故人様に聞き返したことは、その遺言は親族の方々の中でどこまで共有され、またどのように担保されているのかということでした。
すると帰ってきたお返事は、奥様はじめ一人娘様とその旦那様その他兄弟さんや社員の方々もその意向に賛同してくれているとのこと。またご近所の葬儀社とも打合せが出来おり、エンディングノートも既に書いているとのこと。
実は、故人様とじっくりお話をしたのはその時が初めてでしたので、私は話の内容自体には共感を覚えましたが、その動機というか故人様のこだわりというようなものを正直うまく掴めていませんでした。
しかし残念ながら月日は幾ばくも無く、そのお話から一ヵ月ほどで葬儀社からの電話が鳴りました。
遺言に沿った通夜・葬儀が執り行われ、いよいよ満中陰四十九日法要を向かえたのでした。
法要後、納骨に立ち会わせていただいた私の目に写った数々の心温まる場面を通じて、また最後の会食の場で奥様や娘様から故人様のお人柄を聞いて、あの時故人様が語られた話は確かな説得力を帯びて私の胸の中に浮かび上がったのでした。
~墓地にて~
本堂で営まれた法要が正午過ぎに終わり、各々車で寺から5分ほどの場所に移動しました。
すでに親族の方は動きやすいジャージに着替えを済まされていました。
ここからは徒歩で小高い数十メートル程の丘の上の森を目指します。
私はいわゆる坊主の着物で足元は足袋の下に雪駄です。雨の日はさすがに長靴を履きますが、どんなに険しい道でも雪駄で上等です。強がりでも何でもなく、険しい山岳で修行する修験者の端くれならば当たり前のことで、転倒よりも足袋をどれだけ真っ白のまま歩くかが重要なくらいです。
親族の方から足元を心配されて、自分の足元を見やり、いつものように余裕の返事を返しながら目を上げると、そこに不意に飛び込んできた光景に驚きました。
奥様の車椅子には白いロープが結ばれているところでした。
奥様の両膝に並行して出張った持ち手のアールに、始まりと終わりがそれぞれ結び付けられたロープは、その中間点を故人様の甥子さんの腰に回されていました。
甥子さんがグッと力を入れて引っ張ると、その様は車椅子を荷台にしたリヤカーの如く、後ろは娘さんの御主人に押されながら、奥様は2人の男手によってガタゴト揺られ、力強く坂道を上がっていくのでした。
幅1メートルにも満たないセメントで舗装された道が終わると、草を刈ったばかりの山道になりました。
山道は狭い道幅に加え、その右や左が切り立って1メートルを超える段差が生まれています。車椅子がバランスを崩して転倒しないよう、女性達も補助をしながら、声掛け合いの賑やかな一行となりました。
この日までに娘さんご夫婦が準備を進め、墓地に着くとシートをかぶせた下には既に穴が掘られていました。
穴の中にはお線香やら花筒がしまわれていて、手筈はしっかり整っていました。
いよいよ遺言が成就される時となりました。
お骨は骨壺ではなく、より土に還りやすいよう木釘用の穴が開けられた木箱に直接納められていました。
そこへ、故人様が大好きだった山崎のシングルモルトウィスキーが注がれます。
6月も半ばを過ぎているのにまだウグイスは鳴いていて、森の木陰には少し湿った優しい風が吹いていました。
私はふと、お通夜で往年のジャズが流れていたことを思い出し、その時シングルモルトの香りは故人様の遺風となって風に乗りました。
その場に居た全員からお酌をされて、山崎の小瓶は空になりました。
四十九日間の精進の後に一気に飲む般若湯にしては少々ワイルドに過ぎるのでしょうが、これも故人様の遺言です。(笑)
そして土が被せられ、雨除けの屋根が置かれ、当分の間墓石の代わりをなす拝み石が据えられました。えらく形の良い石だと思い、娘さんに問うてみたところ、
拝み石は故人様が自家製の白菜漬けに使っていた漬物石とのこと。
・・・恐れ入りました。
そして私の読経とともに、献香と合掌にて一人一人お参りがなされ、納骨は無事に終了、また賑やかな下山となりました。
こうして故人様の遺言が体現されていく様を間近で見て、私はとても素敵なものを感じました。
でも先に断っておくと、私が感銘を受けたものは、一風独特な弔い方ではなく、また故人様の遺言が成就されたそのことよりも、
確かに納骨の場に故人様が居たことなのです。
上手く伝わらないかもしれませんが、それは遺言という過去が体現されているのではなく、その時納骨の場で、皆が故人様の遺風を感じながら事を進められていたということに尽きるのです。
つまり、その場を共有する皆が感じている想いなのです。
その想いこそが故人様の本体であると私は思います。
紙に書かれてあることを、これでいいのかと戸惑いながら進めるのではなく、小学生のお孫さんまでもが自然と事を進めていて、私はその場に故人様の存在を確かに感じました。
決して独りよがりではない、そのこだわりを受け止めてくれる人々がいる。
それがあってこその想いの共有なのだと、改めて感じ入りました。
南無