去る27日は旧暦の3月21日にあたり、弘法大師空海様が涅槃に入られた日です。きっと全国各地の大師堂で法要が営まれたことでしょう。
この日は私も佐川町加茂本村地区の大師堂にお参りさせていただきました。
あいにくの大雨にも関わらず、ご近所の方々9名がお集まりになり、勤行の終盤には全員で和になって直径4mほどの大数珠を回し、地域一同の家内安全と交通安全、五穀豊穣などをお祈りしました。
護国寺は真言宗ではありませんが、宗派の枠にとらわれず弘法大師様にも手を掌わせます。
特に高知県という土地柄、大師信仰は至る所に根強く残っています。
このお堂も古へよりこの地にあり、平成2年に修復を経ながら現在でも、お大師様はじめ小さな仏像群をお守りしています。
しかし、残念ながらこの大師堂で毎年話題に上がるのは、心無い賽銭泥棒による被害についてです。幸いにも仏像やお堂への破損は今のところ無いのですが、賽銭箱の南京錠などが切断されて中身を盗られるなどの被害が毎年起きているようです。
目の前が県道ということもあってか、他の無住のお堂よりも被害に遭いやすいようです。
大師堂での歓談の最中、『仏罰』なんて言葉が一瞬頭を過りましたが、私は敢えてそのように考えたくないなと思い、以下のように、今一度自分の善悪の知識について考えたのでした。
世の中のいろんなある物は、きっと誰かの何かの想いがあって、そうあるのだ・・・。
私はそんなふうに考えて自らの悪を行わないようにしています。
お孫さんの健康を祈って、今癌と戦っている友人の為に、家族の為に自分がもっと健康で居て元気で働けるように・・・などなど、賽銭箱の底にへばり付いた小銭たちは、きっと何がしかの切実な想いに駆られて密かに投げ込まれたはずです。
「自分さえ良ければ・・・」という考えの前に、どうか踏み留まってほしいものです。
南無大師遍照金剛