仏教勉強会は次回がひとまずの終わりです

4月から開いてきました仏教の歴史を学ぶ勉強会ですが、来年1月16日を最終回としてひとまずの終わりを迎えます。

当初の個人的な理想ではそのまま日本の仏教史に入る予定でしたが、如何せん未だに日本仏教史のテキストが纏まっていないという準備不足の為、日本に伝来するまでの仏教史という区切りの良いところで一旦目途をつけることにしました。

何回か繰り返して言っていることなのですが、私は大学や専門学校等で仏教を専門に学んだわけではなく、最終学歴も普通科の高校をなんとか卒業できたレベルです。

ですから独自に纏めているテキストや資料も、巷の書店で置いてある一般教養書レベルの仏教書を基にしてあり、概ね専門的ではありません。

しかしながら、各宗派の教理を超えて且つ学問的な意味で客観性が認められた『仏教史』というものは、一方で一般的な現代人には縁遠いものです。

そこで、一見専門的に見える仏教史の流れを、ある意味で宗教色をなるだけ抑えた形の一般教養として私なりに纏めたという体裁がこの勉強会の趣旨となっています。

それでもやはり私の知識不足のせいで、第7回目から前回までの3回に亘って取り上げている中国仏教史の流れについては、正直言って、主に鎌田茂雄先生の御著書『新 中国仏教史』の受け売りになっています。

1月16日(水曜日)午後2時からの最終回では、『唐の時代の仏教』と『経典の漢訳』(船山徹先生の御著書『仏典はどう漢訳されたか』を大いに参考にさせてもらっています)にスポットを当てて、最後は続く日本仏教史のダイジェストな流れを紹介して締めくくりたいと考えています。

以前、高知県仏教青年会主催の講演会で講師としてお世話になった釈徹宗氏も言われていますが、
「仏教とは、お釈迦様お一人に収斂されるものではありません。」
という言葉が、実は私の背中を押し続けてくれています。

本当の仏教とそうでない仏教があるのではなく、2500年という時間の流れの中で起きてきた地理と文化と民族を超えた多層的な広がりを知っていただき、その中で個々人が選び取る立ち位置の座標が『その人にとっての仏教』である、と私は考えています。

さらにもっと言うと、その歴史の厚みを貫いているのは、その時その場所で何事かを成そうとした人々の『想い』であり、さらにそれが連関し合って紡がれた壮大なドラマを感じて欲しいと思います。

また、そのドラマには終わりが無く、お釈迦様を核として膨張し続ける宇宙の如く今この瞬間も続いています。
その中では僧非僧に関わらず仏教に関わる現代の全ての人が登場人物であり、また『その人にとっての仏教』の主人公なのです。

強制したいつもりは毛頭無いのですが、借り物の仏教よりも『その人にとっての仏教』を漠然としてでも意識できることが、それぞれの現実をより豊かに生き、つまりは仏教を活かすことに繫がるのではないかと私個人は思います。

 

南無


taichi
「信念が事実を創り出す」をモットーに、現代に生きた仏教を模索していきます。

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