『頑張らない』(人に言いたい事は自分にも言いたい)

RKC高知放送『eye+スーパー』という番組の取材を受けました。

自身の僧侶という立場を活かし、5年ほど前から日高村の観光に携わらせてもらっている御縁で今回の運びとなりました。

取材に来て下さった纐纈アナウンサーが社会人一年目ということで、咄嗟にアドバイスを求められ、その場での体裁は取り繕ったものの、自分としてはあまり気の利いたことが言えませんでした。
後になって、学僧修行時代に宮城泰年師から教えて頂いた話を、カチッとピースがハマるように思い出しました。
それと同時に、その話を何故その時思い出さなかったのかと、本当に夜眠れない程に後悔してしまいました。(笑)
その話の内容は、取材当日バタバタしていて余裕のなかった自分自身に跳ね返って言えることでもあるので、不甲斐なくもこの場に書き残しておきます。

意外かも知れませんが、今はまだ『頑張らない』ということが大切かもしれませんね。
社会人一年目ということで、新たな世界と日常に一刻も慣れて成果を上げなければというプレッシャーは重々承知なのですが、新たな世界に飛び込んだ時ほど先ずは頑張らない。
我々の宗派で一番偉いお坊さんから教えてもらったのですが、そもそも『頑張る』という言葉の語源は、頑なに我を張る(通す)という意味に由来するそうです。
確かに、長い人生の中では、「それだけは譲れない!」とばかりに主張を曲げず自分を貫かなければならない局面もあるでしょう。
しかし、社会人一年目で在られるならば、今はたくさんいろんな人の意見や経験に耳を傾け、スポンジのように吸収して学びを深める時ではないでしょうか。その中で真に自分がやりたい事や向かう方向性が定まってきた時、それから少しずつ腰を据えて、譲れない我を育てていっても決して遅くはないと思います。

と、こんな風に話しておけば、テレビを見てくれた人が「あれ、この坊さん、ちょっと良い事言ってるんじゃね・・・?」なんて思ってくれたかもしれません。(笑)

実際の取材では『戒=目標を持とう』という旨で話をしたのですが、冷静なって省みれば、覆水盆に返らずで潔しとせず、この場で未練がましく吐露している自分自身こそ我を張っているわけで、それこそ正に戒むべきことであると、改めて肝に銘じておきます。

南無南無


taichi
「信念が事実を創り出す」をモットーに、現代に生きた仏教を模索していきます。

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