一地方寺院の僧侶である私も読みました!
東浩紀さんの自己ベスト的新刊『ゲンロン0』。
概ねネットでの評判は、
「とても読みやすく且つ内容も濃い!」
とのことでしたが、なるほど確かにすごい心地良い読み応えでした!
そもそも、私にとって東浩紀さんはとても親しみが持てる哲学者です。
と言っても、以前に読んだことのある書籍は『弱いつながり』一冊だけだったのですが、もっぱらネットの配信等で目にする東さんは、世相に対しての問題意識を、伝えづらそうな表情をしつつも適切なアナロジーを用いながら、丁寧に述べてくれる頭の良い先輩的な、そんな印象でした。
以前、『弱いつながり』の中で提示されていた「招かれた結婚式でのランダムな出会い」のような弱いつながり、そんな出会いや発見を敢えて意図的に増やしていこうという考えに、私は無批判に賛同できるものがありました。
今回の『ゲンロン0』は、その『弱いつながり』を含む過去の著作の続編としても位置付けられ、また、ご本人自ら「僕の本気を出しました。」と太鼓判を押すほどの自信作。
実際、私の期待は全く裏切られませんでした。
ぼくたちはいまや、アメリカでもヨーロッパでもアジアでも旧共産圏でも中東でも、どこの国に行っても、同じ広告に出会い、同じ音楽を耳にし、同じブランドの入ったショッピングモールに行き同じ服を買う、そのような生活ができる時代に生きている。(本書p,33)
世界が「フラット化」したこと、その哲学的意味を問うことが、『観光客』の哲学的な意味を問うことであるとして、先ずは主題である『観光』から、順を追って論は進められます。
付録として挟まれた二次創作では、原作の『福島』と二次創作としての『フクシマ』という、世間では取り立てて意識されていない構造を指摘し、敢えて二次創作を通って原作を理解してもらうという大胆な可能性を打ち出されています。
そして本書の基礎にある危機意識として、シュミット、コジェーヴ、アーレントの3人の学者を引き合いに出し、彼らに代表される古きよき人間の定義を復活させようとしてきた20世紀の人文学の限界を啓蒙しています。
(もちろん私はその3人を初めて知りましたが・・・(^-^;)
その限界とは、世界を席巻しているグローバリズムにナショナリズムが対抗する接点に於いての話であると、一般には認識されていました。
しかし東さんは、そもそもグローバリズムとナショナリズは、二層構造になっているという鋭い指摘をされます。
その二層構造は奇怪な怪物としてイメージされ、ページにも諸星大二郎さんのマンガが挿絵で転載されています。
そんな怪物に例えられる今の時代に頼りになるもの、それが『観光客』という概念であり、またそれは『弱いつながり』の延長でもあります。
やがて議論が進んでいく中で、東さんが20年以上にわたって掲げている『郵便的』という概念を『誤配』という形で引き継ぎ、神秘主義に陥らないマルチチュードによる実在的な連帯の促し方を探っていきます。
本書では、解り易く図式化することを狙ってなのか、本質的には同じ構造のものが何度も名前を変えながら、二項対立という形をとって話が進むのですが、そこから弁証法的な、或いはよりメタな思考でその対立の図式を疑ったり解体したりしながら、止揚されたその先へと、読者をぐんぐん引っ張ってくれます。
さらに有難いことに、辞書の丸写しではない丁寧な注釈が各ページの下部に併記されていて、こちらが門外漢であっても、歩みを進める助けとなってくれます。
ネットワーク理論を引用する箇所では、現代のインターネットを介しての個々の繫がりの中に『優先的選択』の出現が見られ(圧倒的大多数のフォロワーを持つ発信者など)、それが顕著であるからこそ、そこへ誤配を仕込むべきである、とも述べられています。
そして後半には、アイデンティティに関する問いとして『家族』という概念を再構築し、郵便的連帯を家族的連帯として地に足のついたものとして固めていきます。
続いて、アメリカを代表するSF作家、『ニューロマンサー』のウィリアム・ギブスンと『高い城の男』のフィリップ・K・ディックが、サイバースペースと現実との関連について登場し、ラカンの精神分析理論を用いて、結局サイバースペースとは何であったのかが解き明かされます。
最後はドストエフスキーについての考察で締めくくられ、中でも『地下室の手記』の問題提起を2017年にも通じるものとして取り上げます。
以上、本書を読んでいないと、「何のこっちゃい⁉︎」な話でして(笑)、そこへ持ってきて私の拙い文で非常に申し訳ないですが、『ゲンロン0』の概観はこんな感じです。
何度も繰り返しますが、確かに難しい言葉はたくさんあっても、丁寧に話の道筋が作られていますので、とても親切な本だと思います。
普段、
「思想とか哲学とか関係ないし・・・。」
と思っている方でも、
「あーそんな違和感あったわ~。」
とか
「あーそれを言ってくれて何か腑に落ちた。」
みたいな、心地良い読み応えがきっとあります。
また、最近のテレビのニュースや新聞、またはSNSなんかで世相を観て、どこか漠然とした不安や疑問を感じている人、そんな人はこの本を読むことで何らかの手助けを得られるものと思われます。
私ももっと熟読して、自分の活動の原理をより固める為に応用させてもらいます。
余計なことを言うと、一地方寺院の僧侶としては、
『誤配』=いろんな縁?=もっと言うと、慈悲?
みたいに解釈したくなりました。(^^)/