情報空間の自燈明(このサイトの趣旨)

仏教とは、より良く生きるための実践であるという考えのもとに、従来の法事、祈祷などの活動を否定するのではなく、私は敢えてその裾野を広げていくことで、地域と寺院との自然な共存を目指します。
まだまだ未熟な僧侶ですが、身近な社会に対しての私からの関わりが、周囲の人々の何らかの形の発心を生むきっかけになれればと考えています。

サイトタイトルの下の英文は、アメリカの哲学者ウィリアム・ジェイムズの名言を拝借しました。
もとの言葉

Believe that life is worth living, and your belief will help create the fact

人生には生きる価値があると信じなさい。その信念こそが、事実を作るのだから。

を短くしたものです。
ウィリアム・ジェイムズは私が大好きな哲学者であり、京都の有名な観光ロードである哲学の道の由来ともなった西田幾多郎にも大きな影響を与えています。

ジェイムズの格言を拝借した理由は、下記の有名なブッダの格言とジェイムズのそれとが、どこか同じ観点から語られていると私が感じたからです。

ブッダの格言

人は生まれによってバラモンになるのではない。人は行いによってバラモンになるのだ。

ジェイムズの格言

We don’t laugh because we’re happy – we’re happy because we laugh.

人は楽しいから笑うのではない、人は笑うから楽しいのだ。

その同じ観点とは、仏教とプラグマティズムの共通点。
畢竟、我々人間ははどう対立を越えそれぞれが調和しより良く生きていくか、という『問に向けての姿勢』ではないかと私は思うのです。

今、世の中を見渡すと国内には、日本の法律の権限をも超えるTPPの条約や、GPIFによる年金流用などによって、当たり前に保証されてきたはずの日本人の権利や貯蓄が、崖っぷちの状態で脅かされています。さらに海外では不気味な新帝国主義の台頭や、ISに見られるような全てを同じ色に染めようとする暴力の恐怖が蔓延しています。

この弱小な一地方寺院も、姿なき巨人とも言える時代の波に静かに蹂躙された末に破壊され、やがては消滅してしまうのでしょうか?

私はそれを望みません
この先20年で日本の既成仏教は大きく変化していくことでしょう。
その変化の奔流の中で、伝統と革新を巧みに活かし合いながら、なるべく大きな乗り物で、みんなと向こうに渡るのだという理想を、私は胸に抱いています。
そして、ブッダ曰く「聖者はすでに渡り終えている・・・。
その聖者の智慧を人々に説き弘めていくことこそが現代の僧侶の務めであり、私が一生をかけて取り組んでいきたいことなのです。
その意味でも、このホームページが情報空間での自燈明となり、また法燈明ともなれるように日々更新を続けてゆきます。

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