坊主が語るキリスト教

この記事を書いている時ちょうどクリスマス直前ということで、敢えてキリスト教について出しゃばってみたいと思います。

多分、このサイトをご覧になる方は、当寺の檀家様はもとより私のフェイスブック繫がりの方か或いは地方寺院の行く末に興味があられる奇特な方か、いずれにせよ仏教サイドの方がほとんどのはずです。

ということは、京都の某私立大学の神学部を出られた方や東京の某私立大学でバリバリのカテキズムを学ばれた方はまずいないという前提で私自身を安心させ、ボロが出ない限りのベーシックな知識を皆さんとシェアしたいと思います。

ベーシックといっても宗教の世界に身を置く人にとってのそれであり、一般の方々には意外と知られていない事や、また何だか敷居の高かった世界への踏み台ぐらいにはなるだろうということで、以下少し長文になるかもですが、ビビりながら述べていきます。(笑)

~前置き~

唐突ですが、マトリックスという映画をご存知でしょうか?
1999年、全身黒で統一されたキアヌ・リーブス扮する主人公のネオが拳銃の弾をのけ反りながら避けるシーンは、当時中学3年だった私にはかなり衝撃的でした。また演者の周りに沢山のカメラを並べるバレットタイムというカメラワークが大々的に活用され、空中で静止した演者の周りを360度映す映像も世間では話題となりました。

っと、脇道に逸れましたが、その映画マトリックスの世界観には欧米人なら誰しもが備えているマインドセットが3部作を貫く骨子となっています。
それは主人公であるネオが仲間の信頼や預言者の言葉から自身を救世主(メシア)として自覚し奇跡を起こし、最期は自己犠牲によって人々を救済するというプロットです。

そう、それこそがまさにキリスト教的世界観なのです。

という訳で、映画マトリックスはコンピューターの用語が多く登場するのでサイバーSFと思われがちですが、小道具や舞台セットとしてSFっぽく見えるだけで、プロットは全く宗教的な映画であると私は判断しています。

~神について~

さて、上に登場した預言者・救世主(メシア)・自己犠牲などのキーワードをさらっていきながらキリスト教を概観していきますが、その前にまずは、『神』という概念について確認しておきましょう。

今も昔もテレビから中東の荒涼とした地域が映し出され、マシンガンの銃声が響くたびに、
「まぁ、中東の辺は何と惨いことだろうねぇ。民族と神様の違いで人があんな殺し合いをするなんて・・・」
と、お茶の間では嘆かれることが多いのではないでしょうか?

民族の違いはその通りなのですが、上の発言を訂正すると、実は神様が違っているのではないのです。
ざっくり言うと、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教、これらの宗教の神とは、実は同じ神なのです!

それも、全知全能でありこの宇宙を創造された唯一絶対神なのです。

ですから、あちらの人々にしてみれば、トイレの神様などもってのほかであり、日本の八百万の神々もただの迷信に過ぎないのです。
よくお互いの宗教を尊重し合うということが言われますが、それはあくまでも、
「我々にとっては迷信に過ぎない神々だけど、あなた方が尊ぶものを私たちも一応は尊重しますよ。」
という程度のもので、またこちらにしても
「中東の人たちにはその人たちの文化や神様への信仰があるから、ちゃんと尊重して仲良くしないとね。」
ぐらいが精一杯でしょう。本当にお互いが解りあうのならお互いに改宗しあうしかなく(笑)、それは確実に不可能なのです。

最近では池上彰さんをなどを筆頭に、テレビのゴールデンタイムでも大局的な視点で宗教が語られることが多くなってきたと聞きますが、唯一絶対神の概念を誤っている方が未だに日本には多いようです。

~中東の宗教について~

と、『神』の概念についての確認はできましたが、じゃあ何故その同じ神を崇めるのか?

それはユダヤ教・キリスト教・イスラム教の三者がアブラハムの子孫として根っこを辿れば同じ民族だからです。
日本にも家系図というのがありますが、三者は正にその圧倒的なスケールの大きい家系図を共有しているのです。

そして、その家系図の頂点つまり大元はアダムなわけで、そのアダムの肋骨からイブが創られました。それらのことが確かに書かれているのが聖書であり、聖書のなかでも旧約聖書の創世記なのです。ですから、
「ほら、だから今でも男性と女性で肋骨の形が違うでしょ!聖書にはそのこともちゃんと書いてあるのよ!」
と迫られれば、確かに・・・、と思ってしまいそうですが、至極単純に女性は子供をお腹に宿すためにそうなっているのです。(笑)

その聖書のバックボーンが欧米人の意識の根底にあります。またその聖書を詳しく調べると人類の歴史は6000年~7000年ぐらいとのことが判るらしく、そうなってくるともうそれより前の、文明まではいかなくとも文化や時代があったことすら、それは認められないのです。
ちなみに縄文土器は1万6000年前から造られているんですが・・・(笑)

そして、先に述べた預言者とは神性な霊感によって神の御言葉を預かった者で、その聖書の語り部のひとりであるのです。
そして旧約聖書には、やがて救世主(メシア)となる者がこの世に現れ、アブラハムの民族を導いて下さる、と予言されていたのです。

その救世主がキリスト教に於いてはイエスであり、そのイエスを認めないのがユダヤ教です。
イスラム教はそもそもメシアを待望しないスタンスで、そのかわり最後の預言者とされるムハンマド(マホメット)に神から下されたコーランを尊びます。

ここまでで、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の関係性についてその基礎の基礎を述べましたが、ここからいよいよキリスト教について語りたいと思います。

~キリスト教について~

そもそも、『キリスト』この言葉の意味を御存じでしょうか、実はキリストとは油注がれし者という意味で、個人名ではなく敬称なのです。
ですからイエス・キリストとはイエスさん家のキリストさんでは当然なく、救世主イエスという意味なのです。

そのイエスは、ナザレという現在イスラエル北部に位置する、ユダヤ教の神殿があったエルサレムからかなり離れた地域で幼少期から30歳近くになるまで過ごしました。
また、この地域は当時ガリラヤと呼ばれ、エルサレムで主流であったファリサイ派の影響の少ない地域でした。
ちなみにファリサイ派とはパリサイ人と呼ばれ、いわゆる律法主義のユダヤ教徒の事で、預言者モーセにより新たに更新された神との契約である律法を生活全般に亘り徹底的に守り、またそれを破るものを激しく断罪する人々のことです。

青年期のイエスについてはよくわからないことが多いのですが、ルカによる福音書には次のようなエピソードが紹介されています。
イエス12歳の時、過ぎ越し祭(ユダヤ民族の出エジプトを記念する祭り)を祝うためにエルサレムに滞在していた一家はナザレへ帰り始めてしばらくして彼が居ないことに気づきます。さんざん探し回り結局エルサレムに戻ってみると神の神殿の傍にイエスは居たのです。
その理由を育ての父である大工のヨセフが尋ねると、
「私が自分の父の家にいることをご存知ではなかったのですか?」
と、イエスは逆にヨセフに問い返したそうです。

おそらく後世になってからの後付けと思われますが、こんなエピソードからもイエスが神の子であり、またいずれは救世主となるための伏線があることが理解できます。

そして29歳になったイエスは、当時洗礼者として名実ともに民衆に知られていたバプテスマのヨハネからヨルダン川で洗礼を受けます。
イエスとヨハネが対峙した時、ヨハネはイエスから放たれる神性を誰よりも理解し、自らが洗礼を授けるなど畏れ多いとさえ思ったと言われています。

ちなみにバプテスマとは洗礼のことで、日本の神道の禊(みそぎ)に似た、白い衣を纏い川に全身を漬けてまた浮かび上がり、神の祝福をいただく入信の儀式ですが、現在でも簡略化されたとはいえ、多くの宗派で敬虔なクリスチャンはバプテスマを行います。

この洗礼からイエスのメシアとしての自覚はいよいよ高まっていくのです。

バプテスマから間を置かず、イエスは独り荒野に赴きそこで40日間にわたり断食の修行に入ります。キリスト教で修行と聞くと意外に思われますが、日本人がイメージする艱難辛苦の歯を食いしばっての修行というよりも、自己の霊性を高め神と向き合う修養のための瞑想に近かったようです。

さらにこの時のイエスに悪魔サタンが誘惑を仕掛けます。
またこれも意外と知られていないのですが、悪魔は神によって創られたのです。

神と悪魔は等価で比較されるものでは本来なく、唯一絶対の神が創り出した天のみつかい(天使や聖霊と呼ばれるもの)の中から神の御意志に背き天の国を追放された筆頭格がサタンなのです。
つまり悪魔とは天使に内包される存在なのです。

さらに荒野でのサタンの誘惑とは、なにも艶めかしい美女達に扮したサタンのしもべたちが誘惑の限りを尽くすということではなくて、非常に理性的なやり口でイエスに揺さぶりをかけます。
「あなたが神の子であるのなら、傍らに落ちている石ころをパンに変えて食べてみせろ。」
とか
「神の神殿の上から身を投げ出し、地面に叩き潰される前に天のみつかいに助けてもらえ」
など。
するとイエスは、
神を試みてはならない!
と、きっぱりとこの誘惑をはねのけたようです。

仏教者の端くれである私も、この「神を試みてはならない!」というイエスの言葉には痺れます。
論理的にも完璧で、この言葉こそ唯一絶対神を崇めるキリスト教の神髄が表れているように思えます。

参考までに、お釈迦様も29歳で出家をされるのが偶然にもイエスと共通していて興味深いです。また、両者とも悪魔(概念は違いますが)の誘惑に打ち勝ち、己の宗教性を完成させるという点も全く同じです。

やがてガリラヤ全土や異民族が多くを占めるサマリヤまでの各地を伝道し、その町々で奇蹟を行なうイエスには、次第と弟子が増えていきます。弟子と言っても追従者のようなニュアンスだったらしく、イエスの呟きさえ聞き逃すまいとする熱心な人々だったのですが、最終的には12人の弟子が数えられ、彼らは12使徒として、かの有名なレオナルドダヴィンチの作品『最後の晩餐』のイエスの左右に描かれています。

伝道時代のエピソードを一つだけ紹介するとすれば、個人的に好きな話(ヨハネによる福音書第8章1節~11節 ※バプテスマのヨハネとは別人)が以下にあります。要約すると

ある日イエスがオリーブ山へ行かれた時、姦淫の現行犯で連れてこられた女とパリサイ人たちがいた。

モーセの律法によればそのような女は石打ちにすることが規定されている、としてパリサイ人たちは一斉に女に石を投げつけようとした。

イエスは言われた
「あなた方の中で罪のない人が、最初に石を投げなさい。」

すると年長者からぽつぽつとその場からいなくなり、最後はついに女とイエスだけになった。

「わたしもあなたを罪には定めません。行きなさい。今からはもう罪を習わしにしてはなりません。」とイエスは言った。

・・・どうでしょうか?とても引用されることの多い有名なエピソードですが、自己の内面を見つめた時こそ止悪莫作(悪をなさない)の実践を行なえるという、大変素晴らしい教訓だと個人的には思いますが・・・。

このように、ここでは紹介しきれませんが、イエスの言葉は人の心に響くのです。それは現代人が読んでも同じであると私は思います。そのイエスの言行録を物語として伝えるものが新約聖書の主幹をなす4つの福音書です。

マルコ→マタイ→ヨハネ→ルカの順で書かれたとするのが現代での定説ですが、諸説あります。
さらに福音書はこれだけではなく、いわゆる聖書には編入されなかった多くの外典と呼ばれる福音書があり、中でもトマスによる福音書は1945年にその写本がエジプトで発見されました。
参考までに述べると、トマスによる福音書とは有名な4つの福音書とは趣が異なり、よりイエスの肉声に近い語録福音書であり、しかも4つの福音書に先行し且つそれらの種本であるとする学説も近年有力です。

現在はインターネットでもそのトマスによる福音書の日本語訳を読むことができますので、興味の有る方(特に坊さん)は是非検索してみて下さい。
内容は、仏典のダンマパダに通ずるかのような実践的な内容が、簡潔にしかも心地良いレトリックで明言されています。
(福音書に関してのQ資料を想定する論争は大変興味深く紹介したいのですが、ここでは断念します。)

さて、ここまでキーボードに向かってもうすぐ5000文字になろうとしています。(笑)
私も自分が仏教者であることを忘れてしまいそうです。(笑)

~贖い(あがない)とは~

映画マトリックスの主人公ネオも最後はザイオンに生き残った人々の未来の為、自己の死を持って救世主となります。
ここからはイエスの自己犠牲とも呼べる『贖い(あがない)』について触れていきたいと思います。

『贖い』とは、日常生活ではほどんど耳にしない言葉です。かく言う私もペンを持ってちゃんと漢字を書けるかも怪しいくらいなのですが、この贖いというキーワードがキリスト教の精神を支える為にはなくてはならないものなのです。

お釈迦様は35歳で悟りを開かれ以後法を説き続けられ80歳で入滅なさるのですが、イエスはおよそ33歳で昇天されます。
簡単に言うと磔(はりつけ)にされて処刑されたのですが、では誰がイエスを殺したのでしょうか?

それはイエスと同じユダヤ人によって処刑されるように仕組まれたのです。

まず、政治的背景を踏まえた上で述べると、当時のイスラエルはローマ帝国に占領された状態で、エルサレムに神殿こそありましたが、実際はローマ帝国から課せられた税金を納めることによって、ローマの皇帝からユダヤの自治と信仰の自由が一応は認められているという、ユダヤ人にとっては歯がゆい状態でした。

けれども、保守的で長老的立場にあるサドカイ派のユダヤ人はローマ帝国に迎合することで自らに権威を与えられ、主権奪回の隙を伺いながらもローマの属国に甘んじていました。

そんな中、突如ガリラヤの地方から出た傑出した30過ぎの若者が、奇跡の数々を起し、弟子を従え、国中の民衆の心を掴んでゆくのを、権力者側にいたサドカイ派さらにはファリサイ派も快く思っていなかったのです。
またどんな論戦を挑んでみても淀みなく反駁し神への信仰を貫くイエスに対し、律法学者達は強烈な嫉妬を抱いていたに違いありません。

そして来るべくして時は来ました。
律法学者たちは遂にユダヤ属州総督であったローマ人のピラトに告げ口をします。
それも、
「イエスは反ローマ帝国の扇動家であり、やがては武器を取り民衆とともに帝国に反旗を翻すに違いありません!」
とするイエスの宗教性を踏みにじった嘘でピラトを言いくるめます。

もともと、ユダヤ人嫌いのピラトは積極的にイエスを探し出して捕縛し、ついに裁判にかける運びとなりました。
しかし、ユダヤ人嫌いのピラトでさえもいざイエスに対面してみると
「この男に罪は認められない。」
として一旦は無罪にしようと考えが変わり、さらに自分が判決を出す事さえ拒みます。

ところが、律法学者たちにそそのかされた多くの民衆は、既にイエスの死刑を見るべく詰めかけており、数の力が勝ったその場では、結局民衆による私刑としてイエスの処刑が決定されるのでした。

イエスは自らの処刑を予言していたとも言われていますが、実際は涼しい顔で処刑されたのではないのです。
磔にされる棒を自ら背負わされ、冠を頭に被せられました。
冠とは王の象徴です。ローマの兵士たちはイエスを笑いものにするために、
「お前が神の子であるならば、ユダヤの王ということだ。そうだ、王であるからには冠がいるな、ほらお前にお似合いの冠をくれてやろう。」(おそらくそんなところだと想像するのですが)
と言い、イバラの冠を被せるのです。

現在、教会に祀られた十字架像のイエスですが、実はその姿は処刑の前に民衆に侮蔑されるための恰好だったのです。

そして、市中を引き回され、自らの足でゴルゴタの丘まで歩かされるのです。
現在でもその道は世界中の敬虔なクリスチャンが訪れる聖地ヴィア・ドロローサ(苦難の道)としてイエスの苦しみを多くの人々が追体験する場となっています。

民衆はどんな気持ちでイエスの処刑を見守っていたのでしょうか?
両方の脇腹に槍を刺される瞬間に、神の奇跡が起こることでも期待していたのでしょうか?

しかし事実は虚しく、あっけなく遂にイエスは処刑されてしまうのです。

イエスの亡骸は母のマリヤのもとに返され、ある洞くつに隠されますが、紛失します。
その後、復活したという話はあまりにも有名ですが、これにももちろん諸説あります。

さて、イエスの死後、12使徒をはじめとするイエスを支持していた人々は、『イエスの死の意義』についてめいめいが考え始めます。
そしてそこから生まれた種々の解釈からもっとも支持されたものこそが『贖い』なのです。

何を贖ったのか?

それは人間の原罪であるとされます。
言い換えるとそれは、アダムとイブがエデンを追放される理由となった善悪の知識の木の実を食べたことに遡りますが、その原罪を全人類を肩代わりしてイエスの肉体を捧げて贖われたというのがキリスト教諸派に共通する認識です。

さらにこれも後付けなのでしょうが、処刑の場所となったゴルゴタの丘の地中深くにはアダムの墓があるとしだいに信じられるようになりました。
つまり処刑によって流されたイエスの血が、地中に染み込みアダムの遺体を清めたことにより、原罪は贖われたするファンタジーもしっかり補足されているのです。
そして、現在のゴルゴタの丘には聖墳墓教会が建っており、映画『ダヴィンチコード』でも重要な場所として登場しています。
(※訂正 2017年4月6日にダヴィンチコードを改めて観直したら、エルサレムの聖墳墓教会は映画には登場していませんでした。映画に登場するテンプル教会が聖墳墓教会を模した円形で作られていることに端を発した私の勘違いでした。)

こうして、イエスの死を全人類救済の為の贖いとして受け止め、日々イエスの崇高な行為を忘れないために処刑の象徴である十字架がキリスト教(特にカトリック)では重要視されるようになりました。
十字架=処刑=イエスの贖い、という構図になります。

以上、まとめると、アブラハムを源流とする民族の唯一絶対である『神』の概念に始まり、預言者(メシア)・イエスの肉体の自己犠牲と言える贖いについて概観してきました。
そして、それらを含めところどころ登場した太字のキーワードをどう定義し解釈するかという点で、現代のキリスト教は多くの諸派に分かれています。

根本的な解釈の違いとしては、神と聖霊とイエス・キリストの関係性である三位一体(つまり三者は本来ひとつのものであるかどうか)を認めるか否かなのですが、これについてはイエスの昇天から時を隔て、325年のニカイア公会議に於いて解釈の統一が図られ、時を置いて公会議が重ねられる中で三位一体を主張するアタナシウス派が優勢となり、その結果三位一体を否定するアリウス派を始めとする諸派は異端とされ、歴史の主流から排外されていきます。

それに前後して、301年にアルメニアがキリスト教を国教と定めたことを皮切りに、313年ローマ帝国もキリスト教をまずは公認し、やがては政治的判断からか380年には遂にローマ帝国の国教として定められるに至りました。

現代の我々が目にする聖書の原型はニカイア公会議を主催したコンスタンティヌス大帝によって政治的に編纂されたものです。
さらにそれが元となり1611年にイギリスに於いて刊行された欽定訳聖書が世界的にみてもスタンダードな聖書となっています。

~結びに~

最後になりましたが、キリスト教という捉えきれるはずもない壮大なものに、門外漢である私の浅はかな知識の点をか細い線で結んだだけの概観でしたが、実は前々から個人的に興味をもっているのはイエス個人とバプテスマのヨハネです。

元来のユダヤ教にもあるにはあったようですが、洗礼という儀式を大々的に行い始めたのはヨハネであり、その当のヨハネはおそらく日本の仏教史初期に登場する聖(ひじり)のような存在ではなかったかと私は勝手な思い込みをしています。

聖(ひじり)とは日本の役行者や行基や一遍に代表される、高い知性と霊性を備えながらも時の権力に媚びず、敢えて民衆に寄り添い崇高な理念を実践し、多くの他者を利していく人のことで、広義には菩薩とも言える存在です。

クリスチャンの方には失礼千万な話ですが、敢えて私見を述べさせてもらえば、イエスも2000年前の中東で活躍した聖なのではないかと・・・、私はどうしても思えてしかたありません。

ナザレに移る前のイエスは、ベツレヘムという町の馬小屋の中で母マリアから産まれたとされています。
出生日の確定には諸説ありますが、定説では12月25日が皆さんご存知の通り誕生の日であるとされています。

 

と、そういうわけで長々と書きなぐったこの記事のオチは・・・↓

 

 

 

 

我が家のささやかなツリー。(>_<)
これをクリスマスツリーと呼ぶかは、皆さんの御想像にお任せします。(笑)

思い付きで書いた記事を最後まで読んで下さり有難うございました。

南無

 


taichi
「信念が事実を創り出す」をモットーに、現代に生きた仏教を模索していきます。

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