檀家さんに聞く『仁淀川の怪談夜話』

護国寺の寺報では『檀家さんに聞く』というコーナーを設けています。

そこでは毎回私が様々な檀家様に対してインタビューを行い、それを敢えて土佐弁で文章に起し纏めています。

先日の大雪の翌日、仁淀川屋形船の発船所にて行った第11号の取材に於いて、畑山博信さんからとても面白い話を沢山聞くことがでました。

寺報に纏めきれなかった興味深い話を、『仁淀川の怪談夜話』と『奇跡の少年』と題してここに紹介します。

寺報よりも読みやすくするために最低限の土佐弁に留め、話の流れの再構成はしてありますが、なるべく私による脚色は控えています。

取材をした時に私が感じたテンションを皆さんにも感じていただけたら幸いです。

 

『仁淀川の怪談夜話』

ワシがまだ二十歳にはなってなくて、それで子どもでもなかった頃、鮎釣りを専門にしゆうおんちゃんの漁を手伝わせてもらう機会があった。

月夜の晩に鮎は釣れん。でもその晩は川の向こう岸が見えん程の真っ暗な夜でもなかった。

ワシは他に4人の友達を連れて、ここから少し上流へ上がったところにある漁場へ向うた。

その漁場は、越知町から流れてきた仁淀川に吾北のいろんな滝から流れてきた水が合流する場所やった。

またそこで川は大きくカーブしちょって、まるで小さな湾のようにもなっちょった。

夜、鮎らぁはそんな流れの穏やかな場所に集まって休みゆうがよ。

その漁場へワシらが着くと、おんちゃんは既に来ちょって一通り網を仕掛けて鮎がかかるのを待ちゆうとこやった。

「これからもっと鮎がかかると思うけ、トシアキん所へ行って酒飲んでくる。おまんらぁはここで見張りをしよってくれ。」

おんちゃんにそう言われて、ワシらは河原に腰を下ろして川を見守りよった。

一人やったら心細いものの、若い男が5人も集まればよもやま話に花が咲くわね。話は次第にあの娘さんが可愛い、いやあっちの娘さんが可愛い、とかそんなことをお互いにワイワイ言い合って夜は更けていった。

暫くすると、川下の方から、「ちゃっぽん・・・サー・・・ちゃっぽん・・・サー・・・。」と、誰かが舟に乗って鮎を追い込む音が聞こえてきた。

仕掛けた網に鮎を追い込むには松明で炙るか石を川に落とすかのどちらかよ。だからその音はどう聞いても誰かが石を落として漁をしゆう音やった。

仲間のひとりがすっと立ち上がって、みんなの和から出てその音のする方へ歩み寄って声をかけた。

「おーい!、すまんけんどワシらこのちょっと上の方で網を仕掛けちゅうがよ。それやきもっとずっと上の方へ行ってやってくれんかえ!」

でも何にも返事は帰って来んかった。

それでも、「サー・・・サー・・・・。」と舟が上っていく音は微かに聞こえたき、「よっしゃ、行ってくれたわ。」って言いながらそいつは戻ってきた。

ワシらはまたさっきのよもやま話の続きに興じた。この頃は携帯電話もメールらぁも勿論無かったき、ただ河原に集まって若い者同士で色恋の話をするだけでも、それは楽しいひと時やったがよ。

そしたら今度は上のほうから、「ちゃっぽん・・・サー・・・ちゃっぽん・・・サー・・・。」と、さっきと同じ音が聞こえてきた。

さっき上がっていった人やろうか?と皆で訝しんで、また仲間の内の誰かがすっと立って音の方に歩み寄った。

「おーい!、さっき言うたかも知れんけど、ワシらここに張っちゅう網の見張りを頼まれちゅうがよ。悪いけんどどっか他の所で漁してやぁ!」

今度も返事はなかった。

でも、「サー・・・サー・・・。」と舟が下へ動く音だけは微かに聞こえた。

首を傾げながらそいつは戻ってきたけど、そんな不思議な事でもワシらのよもやま話に水を差すまでには及ばんかった。ワシらはまた話の続きに戻った。

でも、また暫くすると、それが聞こえてきた。

「ちゃっぽん・・・サー・・・ちゃっぽん・・・サー・・・。」

今度は下からやった。

さすがにこれはちょっとおかしい。お互いに顔を見合わせて皆でそう思うた。

でも誰かが悪ふざけして、わざと上がったり下ったりしゆのかも知れんと思うたき、今度はワシがちょっと怒って言うちゃることにした。

川に近づくと、「ちゃっぽん・・・サー・・・ちゃっぽん・・・サー・・・。」というその音はもっとはっきり聞こえてきた。

「おい!ワシらぁが先にここで漁をしっ・・・!」

そう言いかけてワシは声が詰まった。

その訳は、川の向こう岸がそのまんま。そのまんま間に舟の一隻も無く見えちょったきやった。

急いで仲間の所に戻ってきて問うてみた。

「おまんら、さっきから舟が往ったり来たりしゆう言うて、その舟の姿を見たかや!?」

「・・・。」

みんな黙ってしもうた。

ワシらは5人もそこに居って、みんなが確かにあの音を聞いちょったのに誰もその音の主を見てなかったがよ。

すると突然、その音がしよった方から、ぽっと妙な火が見えた。

最初はユラユラしてそこに留まっちょったが、やがて川面の上を行ったり来たり動きだした。

最初は漁に使う松明やろうかと思うたが、すぐにそうじゃないとわかった。

だってその火は人間が持ってできる動きじゃなかった。

ワシら5人、皆がその火を見た。

火はやがて向こう岸の山手の方へ遠ざかって、山の上へ上へと昇って行った。

人間がどんなに速く駈け上がっても、あんなふうには登れん。

あれはこの世のものじゃなかった・・・。

大分上まで登ったかに見えたその火は急にフッと消えて、もうそれからどこにも現れることはなかった。

火が消えた後、河原でそれを眺めるしかなかったワシらは誰も何も喋らんかった。

ゴソッと、突然物音が聞こえて皆ビックリしたらおんちゃんが戻ってきた。

ワシらは慌てて、さっき体験した事の一部始終をおんちゃんに話した。

「そりゃいかん。(笑)」

おんちゃんは諦め笑いのような口調で言うた。

「おまんらそりゃーいかん、今晩は一匹もかかってない。もう帰るぞ。」

続けておんちゃんは言うた。

でも怖い思いまでしてせっかく見張りよったがやき、ワシらも網を覗いて見んことには納得がいかん。

それで、おんちゃんに頼んで網を上げて見せてもろうた。

おんちゃんの言う通り、鮎は一匹もかかってなかった。

あの時、ワシら5人は確かにあの音を聞いて妙なあの火も見た。でも、それ以来一度もあの晩のような体験はしてない・・・。

(終わり)

次回は、『奇跡の少年』をお届けします。(^^)/

お話を伺った、仁淀川屋形船の乗船ガイドを務められている畑山博信さん。

taichi
「信念が事実を創り出す」をモットーに、現代に生きた仏教を模索していきます。

2件のコメント

  1. 不思議な話ってやはりあるものですね。
    僕自身も得体の知れない炎を2度見たことがありますよ。
    最初は、とても幼い頃父親に背負われ家の近くを夕涼みしている時に、
    気がつきと木の陰に赤い火がゆらゆらと揺れながら・・・
    2度目は小学生高学年の頃、姉と2人で帰宅途中、川の側で。

    不思議な火は科学的に生じることが証明されていて
    恐るに足りない存在なのかも知れませんが
    ・・今見たとしても、震え上がると思います(笑)

    1. 羨ましいですね。
      人一倍興味があるのに、実は私には一度もそんな経験がないんです。

      不思議な話が大好きなのですが、なかなか不思議なことが起きてくれません。
      でもそのぶん、人間の縁や自然の美しさや芸術の妙技に不思議を感じていくことにしています。

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